4-僕らの生存戦略

Weight /Zero | ≪差異とイテレーション≫ | 5

仕事の渋滞は「心理学」で解決できる
KADOKAWA / 中経出版 (2017-12-22)
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「溜めるな!危険!」

つまりは、そういうことだ。本書から言葉を引くと、”まとめてイッキにやれば「何とかなる」は幻想”となる。なぜか。

牧歌的な時代では、時間に余裕があった。余白があった。だから、細切れな仕事をとりあえずカゴの中にでも入れておき、それを余白の時間にまとめて片付けるという手段が取り合えた。

実際こうすることのメリットもあった。たとえばパソコンを起動するのに3分かかるとしよう。で、そのパソコンで行う作業が3分で終わるならちょっともったいない気がする。それならば、30分くらい作業をまとめてやった方がよい。まとめて行うことで、作業の重複部分が削減できるので、効率性はあがる。

が、前提を確認しておいた方がいい。

もし時間に余白がないとしよう。常にタスクが流れ込んでくるような状況だ。この場合、細切れな作業をまとめておいても、それを実行するための作業時間は、結局先にもないことになる。もし、その作業時間を設定すれば、別の作業が行えない。当然その作業はまた別の時間に実行されるわけで、それはさらに別の作業を追い出す。状況は、何にも変わってはない。

しかも、である。タスクが常に流れ込んでくるような状況であれば、細切れな作業も膨大になるだろう。それを片付けるのも一苦労だし、それが追い出す作業の量もまた大量になる。これではうまくいかない。少なくとも、マージンがたくさんあった時代と同じようにはうまくいかない。

だから貯め込まずに細かく実行することをリピート的に繰り返していきましょう、というのが上記の本の提言である。システム的には非常に納得できる。では、認知的にはなぜこうなっているのだろうか。

二種類の面倒さ

小さい作業がある。雑用といってもいい。すぐにできそうな、気楽なタスクだ。だいたい「あとでまとめて」と処理されるのは、こうした作業である。

そのような作業は、認知的重み付けが非常に小さい。そして、その認知は二つの結果を引き起こす。

第一に、それは「時間を使うようには思えない」。たとえば、財布に5000万円入っているとしよう(あくまでたとえだ)。そのとき、500円玉が落ちて自動販売機の後ろに転がっていっても、「まあいいか」と思えるのではないか。少なくとも、自分の資産に大ダメージが発生したようには感じられない。お金としての重み付けが非常に小さいのだ。それと同じで、細切れのタスクは、時間占有率が限りなく小さく感じられる。極端な言い方をすれば、いくらでもできるような気がしてしまう。

だからこそ、第二に、それを「まとめて」やりたくなる。重み付けが小さいのだから、それを実行しても対した成果は得られないだろう。少なくとも、前後の感覚的な差異は非常に小さくなる。だからこそ、まとめてしまう。1に満たないものを足していって、ようやく1になったとき、それは「やるべき作業」として認知的重み付けを持つ。そうして、タスクはようやく実行に移される。

「あとでやろう」という先送りは、面倒くささから生じるわけだが、その面倒くささとは、

そのタスクを実行する意義 < そのタスクを実行するために必要なエネルギー という不等式の状態のときに発生する。で、一般的にイメージされる面倒くささとは、その作業に必要なエネルギーがあまりにも大きすぎる場合が多いだろうが、逆に、そのタスクを実行する意義があまりにも小さいときにも起こりうる。「まとめて」やりたくなるのは、主に後者である。認知的な重み付けがゼロだから、不等式の左辺が常にゼロなのだ。これでは実行に移されない。

雑-

さて、ここで面白い言葉の類似性に着目しよう。

認知が大雑把な類似性のもとで画一化してしまい、小さな差異を見過ごすようになることを、私は「雑草化現象」と呼んだ。そして、上記のような細かい作業もまた「雑用」と呼ばれる。それがつまり、認知的重み付けが小さい、ということの証左だ。雑用だと感じているとき、自然な帰結として、それらはまとめられることになる。

だからこそ、GTDでは、「2分間で実行できるものは、即座に実行せよ」という半ば強制的なルールがあるのである。このルールは現実的に考えれば、一見無茶なことを言っているように思えるが、雑草化現象(雑用化現象と言い換えてもいい)を念頭におけば、素晴らしいルールであることがわかる。

細かいツッコミを入れれば、2分1秒かかるものはどうするんだとか、実際やってみたら5分かかったらどうするんだとか、そういう話はできる。でも、それはこのルールの本質とは関係ない。そのままにしておくと、認知の中に埋没してしまうような作業を放置するな、という話なのだ。

雑用として扱われてしまう、名前のつかない(※つけられない、ではない。認知的重み付けがゼロだから認識されないのだ)作業を放っておくと、すぐさまタスクの実行に支障が生まれてしまう。おそらくそのような状況では、いくら綺麗に整った「ネクストアクションリスト」があっても、適切に次の行動は選べないだろう。

ログと重み付けの復活

毎日繰り返される、細かい作業。

ほとんど間違いなく、そういう作業が日常を支えている。日常の大きな部分を構成している。

しかし、普通に生活していると、それは差異としては認識されず、日常のパターンの中に組み込まれていく。そして、大きな差異を感じさせるものばかりを追い求めてしまう。何かを管理したいと思うなら、これは適切な状況ではない。

日常行動を細かくロギング(logging)するなど馬鹿げていると思うだろう。それはまったくナチュラルな感覚である。なぜなら、日常行動の大半は認知的重み付けがゼロだからだ。そのようなものを細かく記録して一体何になる?

もちろん決まっている。見えないものが見えてくるようになるのだ。あらゆる行動には時間がかかり、日常は「雑用」で埋め尽くされている。そんな夢のない、リアリティーが見えてくるのだ。

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