胴体だけの恐竜 | ≪差異とイテレーション≫ | 6

人は差異を求める。差異という感覚を求める。

限定された新奇性。同じものからはみ出るもの。グループの中の違い。

安心感と冒険心。

人が差異という感覚を求めるのはよいとして、問題はどこにそれを求めるのか、ということだ。

イテレーション or ウォーターフォール?

『「目標」の研究』でも触れたが、人が目標を立てただけで、新しい自分になったような気がする。真ん中に線を引いて、目標を立てる前の自分と、立てた後の自分が違っているような気がするのだ。だって、過去の私には目標がなかったのだから。

立てた目標が大きければ大きいほど、いっそ夢と呼べるくらいにビッグなものであるほどその感覚は強まる。

でも、現実を見れば、自分は何一つ変わっていない。だから、時間が経って目標がもたらす差異の感覚が薄れてくると、現実に引き戻される。ときには、以前より惨めな気分になっているときもある。なにせ、時間は過ぎてしまったのだから。何も変わっていない自分と、回っていった時計の針。それを意識してしまうと、無性に辛い気持ちになってくる。

目標や夢に差異の感覚を求めるのは、自分の人生がつまらないと感じているからなのだろう。

もし、本当に自分の人生を構成するすべての要素が、時間が、体験が、人間関係が、つまらなくみじめであり、どん底な気分しかもたらさないのであれば、日常を一変させるような、そんな燃え上がる目標が必要になるだろう。ナイフで刺されているのに、絆創膏を持ってきても仕方がない。長い旅に出なければいけない。

でも、そうでないのならばどうだろうか。居心地の良いところだけに収まり、単に自分の視野が狭くなり、日常にあるさまざまな差異を感じられなくなっているだけならどうだろうか。メガネが曇っているだけならばどうだろうか。すでに、潤沢な差異を持っているとしたら、どうだろうか。

そこには大手術など必要ない。意味なく腹を割いたって得るところはない。むしろ悪くなるだけだ。

大切なことは、目には見えない。

私たちが見えていないところに、大切なものが眠っている可能性がある。

灯台もと暗し。

夜間、灯台のメンテナンスに向かう人は、自分の手で懐中電灯を持っていなければならない。灯台の明かりは、そこでは役に立たない。

イテレーション。

小さく、繰り返していく。少しずつ、改善を進めていく。わずかな差異を積み重ねていく。

時は流れ、世界は動く。

すべては流転し、留まるものはどこにもない。

一秒ごとに差異は生まれ続けている。そうして世界は紡がれている。

大切なのは、時間の長さだ。あるいは、スパンの切り方だ。

短い時間で有効なこともあるし、長い時間をかけてようやく有効性が浮かび上がってくるものもある。

私たちがふつう目にするのは、その中間ばかりである。頭と尻尾が切り離された恐竜を見て、「そうか、これが恐竜というものか」と認識し、ノートに書き込んでいる。

胴体からどれだけ帰納しても、頭も尻尾もイメージはされない。永久に続く、長い胴体が生まれるだけである。

だからそう。情報不足の、言い換えれば頭で作った計画というものはだいたいにして役に立たないのだ。恐竜退治にでかけて、するどい牙でガブリとやられてしまう。

短いときの差異も、長いときの差異も、私たちには感じにくい。それは仕方がないことなのかもしれない。

しかし、私たちには二つの武器がある。想像力と道具だ。

おそらくその二つだけが、中間地帯にオーバーフィッティングしないためのツールであろう。

大切なことは、目には見えない。

でも、もうこの言葉は目に見えてしまっている。つまりは、そういうことなのだ。