階層とタグ

やあ、こんにちは。今日はアウトラインについてのお話をしようと思う。

たとえば、こんな階層があるとするね。

WorkSpaceという項目の下に、実行中のプロジェクトが位置づけられている。非常にわかりやすい、アウトライナーの使い方だ。たぶん、違和感はないだろう。

さて、ここで思い出したいのは、WorkFlowyのタグ機能だ。WorkFlowyでは@と#を使うことで、項目にタグ付けができる。一般的にこのタグは、その項目のプロパティを示すために使われる。だとしたら、上記のアウトラインは、次のようにも書き換えられるはずだ

階層を作らず、フラットに並べ、それぞれの項目に同じタグをつける。メタ情報的に間違っているところはどこにもない。でも、上記のようなアウトラインは、どうも不思議な感じがする。違和感と言ってもいい。二つを見比べてみれば、やっぱり上の方が自然な感じがするんじゃないだろうか。だったら、その違いはどこにあるだろう。

一つには、情報量の圧縮、というところがある。下のアウトラインは同じ要素(#project)が連続していて、視覚的にうっとうしさがある。それに比べると、上のアウトラインは実にスッキリしているではないか。それが違いなのだろうか。つまり、階層化とはタグで表現される項目の関係性を簡略的に表示しているに過ぎないのだろうか。

なんとなく私はそうには思えない。階層とタグには、とても大きな違いがあるように感じられる。では、それは一体なんなのだろうか。

言葉にすればそれはとても単純だ。一つの階層に位置づけられた項目は、別の階層に位置づけられることはない。項目の同時存在不可能性原理である。タグにこのような性質はない。だとすれば、階層とタグの違いは何か。

階層とは、「〜〜ではない」による項目の定義づけである。それは排他による本質の抽出だ。一方タグとは、「〜〜である」による項目の定義付けである。それは多重に重ねられたプロパティーによりその実体を浮かび上がらせる。

私の認識の中で、排他なものとそうでないものがある。以前にも書いたが、私の中では、書籍の執筆とクレジットカードの更新は「別物」である。ブログの更新もまた「別物」である。それぞれは、明確に区別されているし、混ざり合うことも入れ替わることもない。だから階層なのだ。

これらをフラットに並べ、タグ付けで整理しても、情報整理的には一応は機能する。しかし、階層化で分類したときほどのスッキリ感はおそらく得られないだろう。そこには区切りがないからである。

とは言え、これは階層化が必ず優れている、という話ではない。むしろ汎用性で言えば、タグの方が使い勝手はよいだろう。情報はネットワークを形成し、その繋がりによって幾通りものアクセスルートを持つからだ。情報はリゾームを形成する。ただし、リゾームは肥大化し、複雑化する。それがときにやっかいさをもたらすことがある。

そこで有限化である。階層化は、つながりの(あるいはつながり方)の限定であり、それはつまり有限化である。「〜〜ではない」によって項目を定義づけることは、つながりの幅を減らすことになるわけだが、それが認知の構造にフィットしているとき、認識時のスッキリ感は向上する。そうしたスッキリさが必要な場面もあるだろう。

階層とタグ。

Evernoteが惹起し、WorkFlowyが本格的に提起した新しい情報整理についての問題。何を階層にし、何をタグにするのか。実に、実に興味深い話じゃないかな。

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