とにかく箱を用意しておく

気になることがあったら、とにかく箱を用意しておく。

少し前から、新しい知的生産系のWebサイトを作りたいなという思いがあり、断片的ながらもいくつかのアイデアは思いついていた。で、「ライフハック情報整理マガジン」が始まって、さらに作りたい意欲は強まった。

Evernoteにノートを作り、そこにアイデアをまとめる。Webを巡回し、参考になりそうなページをクリップしたり、使えそうなWordpressのプラグインを書き留める。

それらのアイデアが、今後どのように花咲くのかはわからない。でも、とにかく箱を用意しておけばアイデアは保全できる。

物の整理の第一歩は、定位置を決めること。よく言われる話だ。ある部分では、情報の整理にも同じことが言える。

私がもし、上記ののーとを作らなければ、「新しい知的生産系のWebサイト」に関するアイデアはちりぢりになってしまっていただろう。それでは貧弱なものしか生まれない。そもそも、何も生まれないかもしれない。箱に入れて、集めるからこそ、大きくなれる可能性がある。

また、ノートに書き込みを始めるようになると、「そうだ、あのノートにこのアイデアを書き留めておかなくては」と思いつくようになる。概念と場所がリンクし、先に場所の方が想起されるようになるのだ。

こうしてアイデアの素材は、ぐんぐんと集まり続けることになる。

頭の中に刻まれたインデックス。

では、そのノートには、どのようにアイデアを書き留めればよいのだろうか。

先ほど私は、Evernoteという有象無象の中に、「新しい知的生産系のWebサイト」というインデックスを刻んだ。フォルダを作ったと言ってもいい。だったら、今度はそのフォルダの中に、サブフォルダを作ればいいだろうか。「外観アイデア」「機能アイデア」「サンプルページ」エトセトラ、エトセトラ……。

この分類はよくやってしまいがちである。概念先行の分類、あるいは机上の分類。だいたいはうまくいかない。

振り返ってみればいい。私はそれらをアイデアをどのように思いついたか。「新しい知的生産系のWebサイト」の「外観アイデア」として思いついたか。もし、そのように思いついたのならサブフォルダは機能するだろう。しかし、ただ漠然と「新しい知的生産系のWebサイト」に関することだとして思いつき、それがたまたま外観に関するアイデアだったとしたら、サブフォルダ化はやめた方がいい。機能するはずがない。次回保存時にそのサブフォルダ名を思い出せるとは限らないし、呼び出すときにも同様だ。脳内に存在しない階層を作ったって、利用できはしないのだ。むしろ、利用するために訓練が必要となる。今必要なのは、そんな大げさな話ではないだろう。

最初にフォルダ的分類をスタートしてしまうと、ついついそれを再帰的に適用して細かく分類してしまいがちである。それが分類的なものの性質なのか、人間的なものの性質なのかはわからない。両方の相互的な作用だということも考えられる。どちらにせよ、脳内の、整理されていない区画は、そんなに綺麗な再帰的構造はしていない。もっと漠然とした、秩序を成す前の何かである。

漠然とした思いつきは、漠然としたまま捉えた方がいい。その方が、結果的にはよどみが少なくなる。

もちろんこれは階層化してはいけない、という話ではない。何かを思いつき、アイデアを集めているような段階では、そこに含まれる情報は混沌としているだろうし、それを無理矢理階層構造に形成しても使い勝手自体が悪くなるのではないか、という話である。

脳内の情報的構造は、均一でも線形でもない。秩序が有効なところもあれば、混沌が力を持つところもある。

どこまで階層化するか、どこまで階層を持ち込むのか。

あまり語られない話であるが、案外重要な話である。