優しいタスクリスト

咳が止まらず、頭もぼんやりしていたので、外食に出かけた。コンビニ、という気分ではない。暖まる、消化の良さそうなものが食べたい。和食「さと」へと向かった。

4人掛けのテーブルを案内され、機器でオーダーすることが告げられる。助かる。人とやりとりしたい気分ではない。テーブルの上には大きめのタブレットがドンと置いてあった。

タブレットは、もちろん黒に白字のターミナルなどではなかった。タッチで選べるGUIである。最初に大きなカテゴリが示されていて、しかもそれぞれのコラムのサイズが違っていて、一目で何がセンターメニューでそうでないのかがわかるよういなっている。認知資源が著しく衰えている今の私でもメニューを選ぶことができそうだ。

もしこれが、箇条書きリストのような文字ばかりのメニューだったら、私はおそらく一番上のアイテムを選んで、その後はメニューを放り出していただろう。しかし、そのタブレットは違った。たくさんの画像と簡素な操作系によって優しく私をメニュー選びへと誘ってくれた。

結局私はおそばを選んだ。天ぷらそば。可もなく不可もなく。

運ばれてきたおそばをズルズルと啜りながら、こういうメニューこそ、私たちが求めているものではないかと思い至った。ここでいう私たちとは「タスク管理実行者」のことである。単に整理するだけでなく、選択を容易にしてくれる。そんな優しいタスクリスト。あるいはタスクメニュー。そういうものがあったら、私たちはもっと何かを選べるようになるかもしれない。

そこにはきっとメインの食事となるがっつりした一品もあるだろうし、食事に楽しむデザートのようなものもあるだろう。仕事もあれば、気晴らしもある、ということだ。そういうものの中から、そのときの気分にあるものをぴぴっと選んで実行する。むろん、そこにはナッジが働いていてもいい。たとえば、デザートは最後の方に配置する。そうするだけで、少しは選ばれにくくなる。言い換えれば、「まずはメインをどうぞ」ということを暗黙に私に伝える。

それで完璧に仕事が回るとは思えないが、100回の選択のうち5回くらいは、よりよき選択ができるようになるかもしれない。それは気合いと根性で乗り切るよりは、うまい結果だと言える。少なくとも私はそう思う。

タスクリスト、いや、箇条書きリストは一般的に無機質になりがちである。無愛想というのではないが、かといってニコニコ顔でもない。私たちの知性が完璧に機能しているとき、そのようなリストからでも私たちは選択することができる。

でも、私たちは別のところにも注意を向けるべきではないだろうか。それこそ、飲食業がお客さんに「選択してもらえる」ように必死になってメニューをデザインしているような。そんな工夫にも注意を向けるべきではないだろうか。

「人間は職業についている以上、その職に関する業務については常に意欲を持っている」という前提であれば、そのような工夫は一切必要ないだろう。逆に、どんな工夫をしたってやる気のない奴はやる気も救いもない、という考えでも工夫は必要とされない。その中間ぐらいの存在であると人間を想定したとき、はじめて「選択してもらいやすいメニューの在り方」というものが浮かび上がってくる。

どちらにせよ、多様な「整理」の在り方は存在するだろう。箇条書きだけがその答えではないはずだ。

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