recover my balance by writing

しばらく体調不良でわたわたしていた。一日一日が精一杯で、先の見通しなど立てられなかった。今日のことを今日する。以上。それを繰り返していた。

でも、やがて日は昇る。完全とはいえないまでも体調は回復しつつある。日常業務に近いこともできるようになってきた。そうなると、自然と先にも目が向く。明日のことが気になってくる。やることは、山盛りだ。

時間が経てば溜まる。よごれが、けがれが、ほこりが溜まる。それを掃除しないと、先には進めない。

立ち止まり、ときに背伸びして先を見通す。できれば、地図を広げる。それが次の一歩へとつながっていく。

使用するもの

・新しい書き物領域
・15分ほどのまとまった時間
・情報整理システム
・「自分」

まず、新しい書き物領域を展開する。ノートの1ページでもいい、レポートパッドの新しい用紙でもいい、なんならそのためにノートを新調してもいい。数百円の投資なら安いものだ。

もちろん、デジタルでも構わない。アウトライナーに新しい項目を立ててもいいし、エディタでcommand + Nを押してもいい。

私はEvernoteを選択した。なぜか。そこが私のライブラリだからだ。

Evernoteに新規ノートを作成する。そこに「気になっていること」を書き出していく。

とっかりは何が良いだろうか。実際どこから始めてもいいのだが、人によって書き始めやすいものは違っているだろう。私はまず直近に行ったことをいくつか書き出してみた。こんな感じだ。

少なくとも、ここに書かれていることの大半は事実である。やったことを列挙することは、記憶を振り返ればよいだけだし、大きな想像力は必要ない。しかも直近にやったことだけなので、思い出しも用意である。だからそこから手をつけた。すると、書き出したものがいくつかの概念的まとまりを持っていることが感じ取れる。それと共に、近しい仲間たちがいることも感じられる。「来週に自分がやろうとしていること」。それを別項に書き出す。

この項目は、最初に書いた項目の「上」に書いた。別に順番に並べなければならない道理はない。少なくともデジタルなら簡単に配置を換えられるのだから、その力を利用しない手はない。

なぜ「上」に書いたのか。それはこの項目が真っ先に見返したいことだからだ。今この瞬間はどちらが「上」であっても構わない。しかし、次週以降の自分が見返したいのは未来の話だろう。だからそれを上に配置する。簡単なルールだ。

こうやって「プロジェクト」を書き並べていると、他のプロジェクトのことも「気になって」くる。だからそれも別項に書き出す。

別に細かく書き出す必要はない。自分の中である程度の粒度(サイズ感)を持ち、「やろう」と思っていることを書き並べればいいだけだ。さらに、どういうことを進めようとしているのかも合わせて書き加えておく。何もなければ何も追記する必要はない。なにもデーターベースを作ろうとしているのではない。頭の中の「気になっている」ことを眺めようというだけだ。

さて、ここまでくるとだいぶすっきりしてくる。自分はどんなことにコミットしていて、何を進めようとしているのかの地図が手に入る。先が見通せるようになったわけではないが、先が見通せたような感覚は手に入る。指針と言い換えてもいい。それで十分だ。

地図でいいのだ。カーナビのアシストはこの段階では必要ない。日本地図を眺めて、北海道までのルートを思い描く。それで自分の道のりが見えてくる。何をして、何をしないのかの大まかなコンパスが手に入る。

何も難しい話ではない。買い物に出かける前に冷蔵庫を開けて見る。それと同じだ。一日ずつを一日の中で過ごすことは難しくない。それはスーパーに行って「必要だと思うもの」を買うのと同じだ。財布さえあれば容易に行える。でも、それではダメなのだ。重複するものを買っても効果は薄いし、使うあてのないものを買っても意味はない。逆に、スーパーに行ったときに「必要だと思わなかったもの」が必要になることもある。その辺を調整したいのだ。

私はこれをマネジメントと呼ぶ。別になんと呼んでも構わない。調整でもオーガナイズでもなんでもいい。とりあえず、溜まってしまったものを吐き出して、しかるべき場所に収める。そうして自分のバランスを取り戻す。次の一歩を、自分なりの確信を持って踏み出せるようにする。そういうメンテナンスである。

もちろん、書き出しただけでは「しかるべき場所」には収まっていない。よって、こうして書き出した後に情報整理システムへの転記や変更が必要になる。タスクならタスクリストに、プロジェクトならプロジェクトリストに、買い物なら買い物リストに、予定ならカレンダーに、指針なら普段目に入る場所に、習慣にしたいことならリマインダーに。そういう場所に置き直すことで、書き出したものは「しかるべき場所」に収まり、それぞれが機能を発揮することになる。

この作業は、ある部分はとてもシステマティックである。少なくとも、書き出して情報整理システムへ移すという流れはワークフローめいている。でも、実体はそうではない。何から書き始めてもいいし、どんな項目を作ってもいいし、それをどのように配置してもいい。それらのどの項目をどのシステムに配置するのですら機械的決定ではない。その人その人の「良い感じ」に合わせて調整すればいい。

重要なのは「自分」の心に敏感になることだ。心がだめならば意識や感覚でもいい。まず「気になっている」ことを書き出す。そして、そこにある類似性や関連性でさまざまに展開していく。秩序が先にあるわけではない。書きながら秩序を見出していくのだ。そして、その知的作業(認知作業)自体が、自己にバランスを取り戻させる。よって、機械にこの作業を代替させても何の意味もない。

私たちがよく間違えるのは、この作業をもっとずっとシステマティックに、整合的に、論理的に、整えようとすることだ。むろんそれで話はぐっとわかりやすくなる。でも、私の心の混乱は、ほこりの溜まり具合は、そんなに毎回同じなのだろうか。機械的に進めようとするあまり、心の在り様に鈍感になってしまってはいないだろうか。

重要なのは、心の在り様に目を向けることだ。そして、それに合わせて細かくやり方を調整していくことだ。

一つのやり方を習得すれば、あたかもすべての問題が解決するように思うのは、さすがにおおざっぱすぎやしないだろうか。世界は、そして自分はそんなに単純だろうか。「単純だ」と答える人はそれでいい。うまく完結している。

でも、そうでないと感じる人は、先駆的なシステム論ではなく、心の在り様に、何を近いと感じ・何を違うと感じるかにもっと注目した方がいい。

自分の心と向き合わないで、自分の「気になること」が整理できるだろうか。可能だと答えるむきもあるだろうが、私はNoといいたい。少なくとも、適切な形には無理だろうと思う。