梅棹は、カードに書くのは豆論文であると言った。
備忘録としてみじかい単語やフレーズを書くのではなく、ちゃんとした文章で、いっそいちさな論文として機能するように書く。あるいはそのような体裁を心がける。
梅棹は端的にそれを次のように言い表した。
「カードは、メモではない」
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とは言え、常に十全の体制が整っているとは限らない。ちゃんとした文章で書こうと思っても書けないときがある。だからこそ、我々はメモを使う。
しかし、そのメモはそのままではカードにはならない。「みじかい単語やフレーズ」では、時間が経てばデコードできなくなるし、見出しがついていないと人力クローリングに不便である。長期的な保存を視野に入れた「カード化」が必要だ。
つまり、我々の着想を「書き留めるもの」は次の二つの経路を持つ。
・カード
・メモ→カード
であるならば、カードの蓄積において重要なのは、「いかにカードを書きやすくするか」と共に、「いかにメモをカード化しやすくするか」と考えてよいだろう。
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カードを書きやすくしたければ、抵抗値を減らせばいい。作成までのステップを少なくし、保存までのアクションを簡易にする。ここでは手短であればあるほど良いと言えるだろう。
また、複数のツールから入力できることも求めたい。現代は、複数の端末を触るのが当たり前みたいになっているので、最低限パソコンとモバイル機器の両方から入力できるのが望ましいだろう。
では、カード化はどうだろうか。
入力の簡易さは上に準じるから改めて論じるまでもない。
特筆するとすれば、「メモとカードを区別すること」だろう。言い換えれば、メモがカードのように見えるなら、カード化は発生しない。メモはメモであり、カードはカードであると区別されるから、カード化は起こりうる。
そのために必要なことは何か。
一つは、保存するツールを分けることだ。メモはメモ専用ツールに、カードはカード専用ツールに分ける。Evernoteとブログ、というのはこの意味で最適な組み合わせであるように感じる。
もう一つは、見た目を分けることだ。色を変えてもいいし、形を変えてもいい。アイコンをつかうこともできるし、透明度を変えてもいい。ともかく何らかの形で、
・メモが不十分な状態
・カードが十分な状態
のどちらかを示す。こうすることでカード化の動機づけを促す。
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textLineは、見出しの不在でメモ感を強調している。
なんとなく見出しがないものは物足りない気がする。何かしら操作しなければいけない気がしてくる。特に、周りがカードばかりだとその心理傾向はよりいっそう強まる。
もちろん他にも方法はあるだろう。また、カードについてもさらに別の操作を促すような動線を考えてもいい。つまり、カードとメタカードといった具合だ。
とは言え、とりあえず要点は一つだ。
「カードは、メモではない」
だから、扱い方も分けた方がいい。
▼参考文献: