4-僕らの生存戦略

「ここはどこ? わたしはだれ?」という問いの重要性

日本の社会は大きな変化の渦の中にある。現在の状況は過去の日本の状況とはまったく異なるものと考えても差し支えないだろう。戦後を生きてきた人々のメソッドは現代ではほとんど通用しない。
それは仕事術といったことではなく、もっと大きな「生き方」についてのメソッドだ。

今の日本政府の課題は安定した社会を作り出すことだ。それは裏を返せば今の日本がちっとも安定していないことを意味する。そのことは、現実的な体験からも実感されるだろう。今の日本は安定社会ではない。

ただし、日本政府の意図が実現するかどうかはまったく疑問だ。むしろこれからはいかに不安定な人生を前提としてそこにセーフティーネットをかけていけるか、ということを指向していかなければならないはずだ。

不安定な人生を前提にいかに生きていくか、ということは個人でもこれから考えていかなければいけない課題である。

2009年9月15日の糸井重里氏のダーリンコラム(ほぼ日新聞)よりすこし引用する。

しかし、ぼくらは「ここはどこ?」か、
ほんとうに答えられるのだろうか。
ぼくのいる「ここ」は、あなたのいる「ここ」は、
ほんとうにぼくやあなたの思っている
「ここ」なのだろうか。

(中略)

あるいは、「わたしはだれ?」という問いには、
ぼくは、あなたは、なんと答えたらいいのだろう。
名前を言えばいいのか。
姓と名と、住んでいる場所を答えたら十分なのか。
ほんとうに、「わたしはだれ?」という問いに
答えられる方法はあるのだろうか。

「ここはどこ? わたしはだれ?」
について、確信を持っていられるというのは、
人間が生きるための最低限の知識なのかもしれない。
それを知りさえすれば、まずは落ち着けるというくらい、
それは大事なことなのかもしれないが、
あんがい、しっかりした答えなんかないんだよなぁ。

おそらく、高度経済成長期の日本人は「ここはどこ?わたしはだれ?」という問いに答える必要はまったくなかたのだろう。それは会社がちゃんと準備してくれていた。
男性は会社人として社会でのアイデンティティを得ることができ、女性はその妻として家庭の中にきちんと居場所があった。もちろん例外は多くあっただろうが、かなり多くの日本人がこの構図の中で生きてきたし、政府の用意した社会保証などもこれを基本的な構図にしてきた。

ここは、いま私がいる場所であり、私は私、つまり○○課の課長であったりした。そこには深い意味など存在しないし、そもそもそんなわずらわしい事を考える必要も一切無かった。

今でもその答えはまだギリギリ通用するのかもしれない。しかしこれからは通用しなくなる、と気構えていた方が賢明だろう。その答えは自分で出さなければいけない。

あたらめて考えてみるとこの問い自体はとても簡単なはずなのだが答えは非常に出しにくい。

「ここはどこ? わたしはだれ?」という問いは一体何を意味しているのだろうか。

それは今いる場所はどこで、私自身は何を指向して生きているのか、どのような要素を持っているのか、ということを尋ねている。

今いる場所というのは、つまり自分が目指す地点のどこまでたどり着いているのか、ということだ。
大きな目標の地図を持って、冷静に自分の立ち位置を見極めなければここがどこであるか答えることはできない。

わたしというのは、つまり自分は何が得意で何が不得意で、何が好きで何が嫌いで、何をやりたくて何をやりたくなくて、何と仲良くなりたくて何と距離を置きたくて、何を目指していて・・・という諸々の要素だ。
もともと備わった身体能力と、今まで自分が身につけてきたスキル、そして今後目指したい自分の姿、そういったものを総合的に見つめなければ私がだれであるか、というのは答えられない。

逆にこれに明確な答えを出せるならば、自分以外の要素に振り回される可能性はググンと減る。
自分の生き方を自分自身で決めることができる。
そして不安定な社会ではまさにこのスキルこそが「生きていく」上で要求されてしまう。
(この場合の「生きていく」というのは単に生存している以上の意味がある)

こういった社会はある種の人々には本当に生きにくいのかもしれない。しかし明確な目的を持って努力を惜しまない人にとってはようやく自分の舞台が回ってきた、と感じることができるだろう。

ただ働けば良い、というだけの社会は徐々に消えつつある。まじめに働ければそれなりのものが手にはいることが約束された社会も同様だ。
会社の中の一人としてではなく、主体的に人生を見つめていくことが必要だ。そして主体的に人生を生きていくことが必要だ。

それには自分自身について考えなければいけない。そうでなければ、自分の人生を他の人の主導権に渡してしまう。しかもその他の人なり会社なりは現状とても不安定なものなのだ。安心の一生を約束してはくれない。
自分自身の価値観にそって、仕事をし、スキルを得、新しい仕事のチャンスを探す。そういった行為を繰り返していく事がうまく生きるコツのようなものになっていく。

そこでコンパスの役割を果たす自分の軸になるもの、自分なりの価値観が必要だ。

そういった状況では、フランクリン・プランナーに代表される「自己管理アイテム」の必要性はどんどん高まってくると思う。別にこうしたアイテムだけが自己管理してくれるものではない。普通の手帳、普通のノートでもかまわない。
自分の価値観を文章化して眺め、それを自分の成長とともに修正していけるものならばなんだってかまわない。

ただ「文章化」にはこだわる必要がある。もやもやした胸の内の感覚だけでは自らの行動指針にはなりにくい。
文章化し、時を置いて見直す習慣があれば、媒体はなんだってかまわない。
一番最初の見開きに
「ここはどこ?わたしはだれ?」
と書いて、その下に自分の答えをどれだけ書くことができるだろうか。一度試してみてはいかがだろうか。

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