Scrapboxでメモ帳を公開するということ

以下の公開プロジェクトがある。

倉下忠憲のメモ

タイトルには「メモ」とあるが、実際は情報カードボックスが近い。

上記のプロジェクトはパブリック(公開)だが、同じものがプライベート(非公開)のプロジェクトにも含まれていて、そちらには原稿やデリイーノートなども所属する。以前紹介した通り、自作のツールから同時に二つのプロジェクトに投稿するという曲芸でこれを実現している。

では、なぜ、パブリックにメモ帳(カードボックス)を公開するのだろうか。二つ意味がある。

その1:カード化の促進
その2:読まれることによるカードを「くる」効果

その1:カード化の促進

私は一日のうちにかなりすさまじい量の走り書きメモを作成する。これはもう本当に走り書きであり、それだけでみれば「なんじゃこりゃ」というものばかりである。

これらのうち、自分の行動やプロジェクトに関わるもの以外は、「アイデアメモ」と呼べるが、それを活かすためには文章的な肉付けが必要である。少なくとも、このまま置いておくだけでは、時間と共に意味消失が進んでしまう。

その際、「パブリック」な場所に公開する、というのは、私の中で大きな意味を持つ。少なくとも、上記のような一行メモをWebに公開するのはいささか気が引ける。その遠慮が何に起因するものなのかはわからないが、ともかく私の中にそういう動機付けがあることは間違いない。

パブリックな公開場所を持つことで、他人に読める文章にする(あるいは、最低限それだけの肉付けを行う)ことが促進される。この効果はばかにならない。

読まれることによるカードを「くる」効果

Scrapboxは、ページのソートにいくつかの選択肢がある。

当初私は、Date modifiedを愛用していたが、最近はData last visitedを気に入っている。前者は内容の更新が必要だが、後者は単なる表示で整列順がかわる。ここに、パブリックが絡んでくる。

朝起きて、自分の「メモ帳」にアクセスする。普通のツールなら、自分が一番最後に入力したメモか、自分が一番最後に更新したメモがトップにくるはずだ。しかし、(運がよければ)上記の「メモ帳」は、ぜんぜん違うメモがトップにくる。そう、他の誰かが読んだメモだ。

まずここで、ランダム性が導入される。もう少し言えば、自分の意図の範囲からはみ出たところに、ページとの出会いが生まれる。情報カードで言えば、カード群から適当に一枚引き抜いてみるような効果がある。

しかしそれは単純なランダムではない。他の誰かが「見た」というパラメータが関係している。その閲覧はただの気まぐれ、指の迷いだったのかもしれないが、タイトルに惹かれた可能性もある。つまり、そのメモは(多少ながらも)キャッチーだったのだ。そのメモは、育てていく価値があるのではないか?

──という風に思える点がポイントである。自分が作成したメモを「どんなこと書いたっけ?」と自分でもう一度閲覧する気持ちが湧いてくる。それが、いわゆるカードを「くる」効果となる。

上記のような効果は、ブログでよく起こる。誰かがこのブログの記事をツイートし、エゴサーチした私がそれを発見して、昔書いた記事を読み返す。それは、結構大切で、楽しい行為である。Scrapboxを使うことで、それをアイデアメモまで拡げた、と言えるかもしれない。

さいごに

どちらにせよ、思いついたことのすべてを本にできるほどの時間は持ち合わせていない。どうせ上記のメモの大半はどこの本に使われるでもなく埋没してしまう着想である。だったら、公開しても構わないだろう。

「そんなことをして本作りとか販売に影響はないの?」

と思われるかもしれない。あるかもしれないし、ないかもしれない。それはわからない。

ただ、上記のプロジェクトに、仮に私が本を10冊書けるだけのアイデアがすべて保存されていたとしても、それだけでは付加価値は生じないだろう。読むのは楽しいだろうし、有益ですらあるだろうが、多すぎて読み手はついていけないはずだ。

結局のところ本作りというのは、情報のリゾームを丁寧に裁断し、一本筋の通ったツリーに変換することであり、著者の技量とはその変換にこそ宿るものである、と私は考える。そして、だからこそ同じ題材でも複数の「本」が生まれ得る。リゾームをツリーに変換(転写)する仕方は一つではありえないからだ。

でもって、そうしたいくつもの変換結果があるからこそ、自分にとってぴったりな書き手が見つかるのだとも思う。それを非効率だと呼ぶこともできるが、私は冗長性だと呼んでおきたい。

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