2-社会情報論

2013年に書いたデジタル出版の可能性の話。

2013年に発売された『KDPではじめる セルフ・パブリッシング』で、デジタル出版の可能性について以下のように書きました。

 たとてば、100部や200部といったニッチなニーズに合わせたコンテンツだって「本」にできます。単価を合わせるために、本の中身を「水増し」する必要もありません。紙の本にして20ページぐらいのコンテンツも「本」にできます。また、印刷工程を経ないので、スピード感を持ったコンテンツ展開も可能になります。

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損益分岐点が低いので、ニッチな対象をテーマにできます。また、値段を1200円くらいにするから、あと4万字くらい書いてください、みたいなことも必要ありませんし、逆に1800円に抑えたいので削りましょう、ということもありません。そうしたければ非常に薄い、あるいは分厚い(といっても物理的な厚みは存在しないわけですが)本を作り出せます。

さらに、印刷系の作業がばっさりなくなるので、コンテンツの完成から出版までの期間が非常に短くなります。それにより、そのときホットな話題を即座に「本」にできます。もしそれがセルフパブリッシングなら、ややこしい会議も必要ありません。思いつく→書く→販売する、という流れが即座に実行できます。最近の話題のマッハ新書などは、まさにこの通りものもが実現したと言えるでしょう。

また、セルフ・パブリッシングのデジタル出版では、編集会議を設ける必要がないので、それまでの常識からは考えられない本が生み出されやすい環境をも作り出します。

 今までの「本」が、(仕方ないにせよ)捨ててきたニーズにぴったりマッチした本が作られる可能性があるわけです。
 これまでの編集会議でボツにされていた「奇想天外」な本が世に出てくることもあるでしょう。荒々しいコンテンツ、前提がなく可能性が読み切れないコンテンツ、そうしたものを押し留めるようなフィルターはセルフ・パブリッシングには存在しません。自身の裁量で、自由気ままに「本」を作り出すことができます。

これらを合わせて考えると、デジタル出版はガワ(外側の形式)だけでなく、その中身にも変化を与えます。損益分岐点が低く、スピード感を持って作成できるので、実験しやすいのです。

「前例のないこと」を試す場として、低コスト・低リスクのセルフ・パブリッシングはとてもよい実験場です。そこから、「本」のイノベーションが生まれることも充分あり得ます。かつての文芸復興がセルフ・パブリッシングで再来するわけです。

デジタル出版の革命の力は、おそらく二つの方向を持ちます。一つは、デジタル・リーディングをベースにした「本」というパッケージの解体です。ページという概念がなくなり、スクロールでの閲覧にシフトしたり、あるいはリンクベースで読み進めていくようなScrapboxホンという方向もあるでしょう。これはこれで一つのイノベーションであり、新しい情報摂取の形態を私たちに与えてくれると思います。

もう一つの革命の力は、「本」の作り方のバージョンアップです。最終的に「本」というパッケージング──なんなら文化──は残しつつも、それを作る工程を変えていく。たとえば、まずデジタルボーンでコアの要素だけをまとめた電子書籍をたくさん作り、その中で感触が良いものは、より掘り下げたフルバージョンを作成し、さらに紙の本での販売も視野に入れる。そういう作り方ができます。

最近では、セルフパブリッシングである程度売れた本がコアとなり、商業出版の企画案となる事例もポツポツ増えてきました。これは、上記の実験を「分業」で行っていると捉えられるかもしれません。

また、試験的に無料で文章を公開し、読んだ人からのフィードバックを受けながら、徐々にそれをブラッシュアップしていく本作りもあるでしょう。あえて名付けるならソーシャル・ライティングというところですが、そうしたことが簡易に実行できる点もデジタル出版にはあります。現状の電子書籍ファイルのスタンダード規格であるEPUBとWebサイトのHTMLに親和性があるのも、そうした橋渡しの一助となるかもしれません。

どちらにせよ、こちらの方向は、あくまでパッケージされた「本」というものを堅持し、その作り方を最適化(あるいはバージョンアップ)していく流れとなります。言い換えれば、「本」という情報形態の価値を信じ、それを磨き上げていく方向です。

やはり「本」には本の良さがあり、また悪さもあります。他のメディアだって同じではないでしょうか。

なんなら、パッケージされたコンテンツと、リンクベースのコンテンツの両方を制作してもいいかもしれません。一物一価という言い方がありますが、別に必ずしも一つのコンテンツが一つのメディア形式に縛られている必要はないでしょう。本にだって、読み上げ版があります。だったら、コア版、フル版、リンク版、エトセトラ、エトセトラと、「本」の在り様が広がり、それを選べるようになることが、一つの「進化」と言えるのかもしれません。

なんにせよ、まったく個人的な意見ですが、ようやくこういう話が一般的に認知されるようになってきたのだな、と感じています。