4-僕らの生存戦略

「やる気は、やれば出てくる」という言説

「やる気は、やれば出てくる」

なるほど、たしかにそういう側面はあります。はじめはあんまりやる気がなかったのに、いやいや作業に取りかかったらむしろ楽しくなってきてついつい続けてしまった。そんな経験は一度や二度ではありません。

面倒さの心理不等式から考えれば、行動を取ったことにより、行動を取るためのコストが0か限りなく0に近づくことで、得られるメリットが小さくても行動が継続しやすくなる、と定式化できるでしょう。行動の惰性が、行動の瞬間に切り替わるわけです。

とは言え、「やる気は、やれば出てくる。だからとにかく着手するんだ」と言われても、でもその最初の着手ができないんだから、どうしようもないじゃんか、と反論したくなりますね。これは健全な懐疑だと思います。そこで、「ともかく、無理矢理にでも実行すればいいんだ」という考えが出てきたら危ないサインです。

なぜなら、「やる気は、やれば出てくる」という考え方を用いれば、ともかくやらせてしまえばその行動主体にやる気が生まれることになります。その行動を取るべきでないときでもそうなのです。どれだけ疲れていても、体が休みを要求していても、やれば「やる気」が出てきてしまう。そう考えると、ちょっと怖くありませんか。私は怖いです。

「やる気が出ない」は、もしかしたら不合理な判断かもしれません。行動に対するコストを高く見積もり、結果的に行動できなくなっていることは人間にはよくあることでしょう。そうした不合理性を消したい気持ちもわかりますが、かといって、アラートを見逃してしまう事態を招くのは危険です。

人間は本当に疲れていたり休むべき状態になったら、それとわかるから勝手に休むだろう、なんてことが言えないのは、ニュース記事を持ち出すまでもありません。たいていのアラートと同じように、体から発せられるアラートを切ってしまうのは、99.9%のシチュエーションで問題は起きませんが、0.01%で問題が起きてしまい、しかもその問題が致命的であることが予想できます。

「大丈夫。そんなことはほとんど起きないだろう」

そうです。そんことはほとんど起きません。そして、起きたらクリティカルなのです。起きたらクリティカルなのです。

「やる気は、やれば出てくる」はたしかにそうだとしても、だからといって「やる気は、やれば出てくる。だから何も考えずに次々に実行していこう」と考えるのは、少々危ういかもしれません。少なくとも、その危機感をキープしておくことは、悪いことではないでしょう。