3-叛逆の仕事術

後から知る自分についての断章 〜行動の調整に宿る自己〜

「誰にでもできる」ことは、誰にでもできる。

「自分にしかできないこと」は、自分にしかできない。


誰にでもできることをすると、自分は誰にもなれない。差異を生む情報が得られない。

しかし、「自分にしかできないこと」なんて実はほとんどなかったりする。たいていのことは、自分以外の人でもできるし、自分よりうまい人もいる。少なくとも、能力的には。

少なくとも、能力的には。


「自分」を構成する要素はたくさんあり、自意識の「自分」がそれらすべてを理解しているわけではない。たいていの「自分らしさ」は、自意識の自分が知っている「自分」についての情報であり、悪ければ単なる自分の理想でしかない。

「自分にしかできないことって何だろう?」という問いは迷宮への入り口である。そもそも、「自分」を知らないのだから答えを出せるはずもない。あるいは、誤った答えで納得してしまう可能性もある。

少なくとも、その問いは、事前には答えを出せないだろう。行動を起こす前には。


「できること」と「すること」には乖離がある。とんでもない乖離がある。

たぶん、世界中に私よりもうまくEvernoteについて説明できる人は山のようにいるだろうが、その人はその人の仕事があって、Evernoteについて説明しているような時間はない。

今この話を聞いて「比較優位」という言葉を思い浮かべた人は、クリーナーで消してくれてかまわない。これはそういう話ではない。何にコミットするのか、いや、何にコミットしているのか、という話だ。


人間の行動に影響を与える要素はたぶん、いくつかある。

・能力
・選好
・価値

能力は、スペック・スキルであり、遺伝子的なものと後から磨き上げられたものがある。選好は、好き嫌いだ。最後の価値は、そうした行動に意義があるかどうか、という考え方である。能力があれば、その行為は好きになりやすいが、かといって絶対ではない。あと、好きではあっても「こんなものに何の価値もない」と考える場合もある。価値は感じていても、「自分はあまりやりたくないな」と思うこともある。

人間とはそのような動物であって、合理性の物差し一つで行動を決めているわけではない。

話を単純化すれば、「好きなことだけすればいい」とか「得意なことだけやりましょう」となるわけだが、それはつまり人間存在を単純化していることとイコールである。

先ほど挙げた三つの要素のどこに比重を置くのかすら、その人の決定であり、人生であろう。結果を引き受けるのは常にその人なのだ。

それでも決定が当人にある、という点は重要である。それはすなわち「調整できる」ということでもあるからだ。


何をどう考えても、人は「誰にでもできる」ことからスタートするしかない。たとえば、語彙を習得することは、まさにそのような行為だろう。

しかし、語彙を習得した人間すべてが、一字一句同じ言葉を発するようになるわけではない。たまに「この人ボットかな?」と思う人をネットで見かけるが(もしかしたら本当にボットなのかもしれない)、たいていの人は違うように話す。違う内容を話す。でもそのことを、「自分にしかできないこと」だとはあまり感じないだろう。そして、それで別に生活に支障はない。

差異はそこにあり、アイデンティティーの感覚は保存される。


先駆的に「自分にしかできないこと」を考えるのは、しんどいゾーンに身を浸すことになる。ベジータのように重力発生装置下で修行するのが好きならば、それはそれで構わないが、押しつぶされてしまう危険性については最低限念頭に置いた方がよい。

しかし、結果として「自分しかしてこなかったこと」を見つけることはできるかもしれない。なにせ世界中の人々はそんなに暇ではないので、手が付けられないことはいっぱいあるからだ。

でもって、そこから自分の行動を「調整」していくことはできるだろう。


自分は前向きには理解できない。自分のことを知れるのは、後ろを向いたときだけである。

だから8くらい進んだら、2くらいは立ち止まってふり返ってみることが大切だろう。しかも、そこで得られる情報すら限定的なものでしかない点は理解しておいたほうがよい。

よって、「前を向いて歩き続けてさえすればいい」という考えは、そしてそれですべてを知ったつもりでいるのは、非常に危うい。

人間には常にわからないことがある。それは自分自身に関してもそうなのだ。しかし、まったく何もわからないわけでもない。理解と不理解の行ったり来たり。そうして調整しながら歩き続けていく。

でもって、その「調整」が、自分の発見でもあろう。


これまで何をしてきたのかはたしかに大切だ。そこから行動至上主義のような考え方も生まれる。しかし、実際はこれまで何をしてきたのかということから、これから何をするのかを決定することの方がはるかに重要だろう。

そうでなければ、「詰む」人間がたくさん生まれてしまう。それはひどい閉塞感を生み出すに違いない。