情報カードは「くれ」るんです

情報カードの特性はいろいろあるかと思いますが、その一つに「くる」ことがある。

そんなことを以下の動画を眺めながら感じました。

1:15くらいからの場面。

掴み取られた数枚のカードが「くら」れていきます。なんてことないシーンですが、これと同じことがデジタルツールでどれだけ実現できるでしょうか。

断片化し、それを役割ごとで保存先を変える。これはどんなツールにでもだいたい可能です。ノートブックのような区切りを設けるのか、タグのようなコンテキストを設けるのかなど、ツールによって実装の形は異なりますが、断片を束ねることは同じです。

しかし、それらの閲覧はどうでしょう。

カードを「くる」ことは、ゆるやかなつながりを持つ、一定数の断片の数々を、連続性を持って「一つひとつ」眺めていくことです。力点は一番最後にあります。

カードを「くる」とき、私たちの目に入るのは、一枚ずつのカードです。あるカードを見ているときは、別のカードが目に入らない。そして、次のカードに移る。俯瞰でもなければ、孤絶でもない。単独の連続。そんな閲覧スタイルが可能です。ようは、プレゼンテーションのスライドのような閲覧スタイルです。

情報を断片化して、保存できる情報整理ツールの場合、なぜだか、これがあまりできません。断片化したその内部ではスライド的な表現が可能であるのに、なぜか断片を一つの単位とした連続的閲覧はあまりできないのです。不思議です。

この「くる」という閲覧体験が何をもたらすのかまでは、私の考察は及んでいません。しかし、目に入る情報のコントロールという点で言えば、単に一列にずらっと並べたものと、一つひとつが単独で示されるものを連続で閲覧するのとでは、担う役割は違うように感じられます。

むろんこんなことは、単にUIの問題であり、そのようにツールを設計すれば問題ない話なのですが、むしろなぜこんなにたくさんの情報整理ツールがありながら、断片同士の連続的閲覧機能がさほど実装されていないのか、という点の方が気になる話です。そこには深遠な何かが含まれているのかもしれませんし、単にデジタルツールを設計する上での盲点なだけなのかもしれません。

どちらにせよ、情報カードは、そのような「くる」スタイルと、一列に並べるスタイルと、自由に配置できるスタイルが選べます。宇宙空間にもっていけば、もっと「自由」な並べ方も楽しめるでしょう。

可能性であれば、デジタルツールの方が上のようにも感じられますが、現実的制約からいって、必ずしもそうとは言えないのだな〜と思う今日この頃です。

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