「どうなるかは、わからへんやん」

落ち込みだしたら散歩 – 佐々木正悟のライフハック心理学

「未来に対する気質」について少し考えていたんですが、私はたいてい「なんとかなるなる」と気楽な心持ちでいるのですが、むしろその背景に「なんとかならなくても別に構わない」みたいな、一種の諦観に近いものが潜んでいるのではないか、ということに思い至りました。

非常に若い頃は、自分は何者かにならなくてはいけない、みたいな強迫観念に近い価値観があったのですが、もはや老いつつある身としては、体のどこを探しても、脳をどれだけ揺さぶっても、そういうのは出てきません。枯れてしまったのでしょう。だから別にどうなったって構わないと、たぶんそんな風に考えています。

この場合の「考えている」というのは、そのように思おうとしているということではなく、そう実感している、ということです。私という自意識には操作不可能な対象です。

おそらくこれは、いわゆるポジティブではないのでしょう。希望がなければ絶望もない、というのに似た話だと思います。たぶん私は、未来に対する確信そのものが欠落しています。「良いことが訪れるに違いない」というのも「悪いことになるはずだ」というのも、未来に対する何かしらの確信(に近い気持ち)があるわけですが、そういうのがないわけです。「どうなるかは、わからへんやん」みたいな。

それがベースにあっての「どうなっても構へん」であり、その上に「なんとかなるやん」がちょこっと乗っかっている、という構図になっているのだろうな、という気がしています。

なぜ一番上に「なんとかなるやん」が乗っかっているのかに必然性はありません。たぶん、私が自分で選んだものでもないのでしょう。周りの環境が、与えてくれたものだと感じています。

ただ、上のようなややこしい図式をいちいち説明するのは面倒なので、一応ポジティブということにはしています。ただ、実際のところ、ものすごく「悪いこと」を考えた上で、単にポジティブに見える決断をしているだけなので、ピュアなポジティブではありません。リスクを見ても、リスクと思えないという一種の感覚麻痺が、おそらくそのポジティブさを演出しているのでしょう。

これはこれで壊れているような、と思う今日この頃です。だからといって別にどうしたいわけでもありませんが。