1
あなたの周りには、沼がある。気味の悪い色をしたその沼は「不幸」と呼ばれている。
あなたは不幸が嫌いだ。だから、絶対にその沼には近づきたくない。だから、あなたはずっと同じ場所に佇むことになる。
その沼の向こうに、どんなに新しい世界が広がっていても、あなたはずっと同じ場所に佇むことになる。
不幸になりたくはないから。不幸になってはいけないから。
あなたが佇む場所が、周りの沼よりも、余計に沼であっても気にならない。
自分がいる場所にはいつしか慣れてしまう。日常化し、雑草化してしまう。差異は消え去る。
そんなことよりも、不幸にはなりたくない。不幸にはなりたくない。
たとえ幸せを求め、その沼の向こうにそれがあるにしても、あなたはその場所から動くことはない。
不幸には触れたくもないからだ。
2
「正しい」ことと、「正しすぎる」こと。
後者は奇妙である。「正しくない」ものが一切姿を見せない。まるで、軍隊にによって追い出され、徹底的な残党狩りが行われたかのように、「正しくない」ものが見えてこない。
正しい状態であることは、とても大切なことだ。しかし、正しい状態であることそのものが目的化したらどうなるだろうか。正しい状態を維持するためのルールが絶対化し、あらゆるグレーを黒色だと断じるようになれば。
たしかにそこは、「正しい」もので満ち溢れた空間になるだろう。
ある種の人々にとっては、きわめて居心地良い空間であるのかもしれない。
でも、はたしてそれは正しいことなのだろうか。そもそも何のために正しいことは求められたのだろうか。