ネタフルさんが15周年を迎えられたようです。おめでとうございます。
先日、自分の(つまりこのブログの)記事数をチェックしていたら、5000を超えていて、
まあ、一番古い記事が2004年だから、14年だもんな〜、そりゃ5000くらいは行くよな〜などと悦に入っていたら、ネタフルさんは5万記事に迫る勢いとのこと。ちょうど桁が一つ違います。圧倒的な戦力差です。
とは言え、ネタフルさんと当ブログでは目指しているものがゴルゴ13とサザエさんぐらい違うので、単純に記事数を比較してどう、ということは言えません。戦士はHPが高く、武闘家はすばやさが高い。そういうことですね。
常に意識するのは、自分の戦場で戦うことです。他の人の戦場ではありません。
みたいな、良い話でまとめようとしたのですが、一方で、たとえば今日からブログを始めようとする人にとっては、巨大な塔がそこにあることになります。なにせ5万記事です。このブログですら5000記事です。
私がブログをはじめたときは(当たり前ですが)、5万記事や5000記事を持っているブログなどは存在しませんでした。自分ですら──たぶんやめないだろうな〜とは思っていましたが──自分のブログに5000以上の記事がストックされるなど想像もしていませんでした。
だから、極端に言ってしまえば、ビフォーアフターの世界線は超えてしまっているのでしょう。まったくの平原から何かを組み立てていく世界と、すでに組み上がった塔がたくさんある中で何かを組み立てていく世界。
こればかりは崩しようもありません。
でもって、だからこそ、新しいものを生み出すための工夫がそこでは期待されます。同じもののコピーでは、劣化版しか生まれないのです。
もちろん、塔側の人間にとってみれば、劣化版しか生まれないような状況は喜ばしいことです。なにせ絶対に負けません。自分の土俵に相手を引き込んでいるわけです。なんなら、積極的に自分の劣化版を作り出そうとすらするでしょう。ザ・ドミニオン。
しかし、新しいものが生まれてくると、塔側も安心してはいられません。常なる精進が求められます。そうして切磋琢磨サイクルが生まれます。
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重要なのはポジション取りです。自分の戦場はどこであるのかを見極めることです。ノウハウは、たぶんその後についてきます。戦場が見極められれば、ノウハウの使い方もわかるからです。
更新頻度、記事の書き方、タイトルの付け方、画像の選び方。もちろん大切なことでしょう。でも、その先に目指しているものは何なのでしょうか。塔はどこに向かって伸びているのでしょうか。その塔は、どのように建てられ、他の人からはどう見え、どんな役に立っているのでしょうか。
それをまったく考えないのならば、そしてその選択の結果を引き受けられないなら、できあがるのはどうしようもなく劣化版です。
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幸いなことに、私たち一人ひとりの人間は微妙な差異を持ちます。そして、微妙な差異が重なれば大きな差異になります。麻雀の配牌ですら一兆通りの可能性があるのですから、ブログの可能性だってずいぶんありうるでしょう。
だからこそ、続けることが効いてきます。複利のようにじわじわと差異が広がっていくのです。
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「特別なこと」をやろうとすると、むしろ差異は消失します。「何が特別であるか」と考えることには同質的な傾向があるからです。
その意味で、「ブログに何を書いてもいい」は、半分本当で半分ウソです。書くこと自体に制約はありませんが、他の人と同じようなことを書いているなら、他者からは認識されなくなります。人はそんなに細かく情報摂取しているわけではありません。似たようなものはグルーピングされ、まとめて認識されます。
だから、何を書くかは「選ぶ」必要があります。そしてその手つきにも、やっぱり差異は宿るのです。
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さて、あなたはこれからどんな塔を建てていくのでしょうか。
もちろん、建てないというのも立派な選択です。
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