Scrapboxを使い始めて感じた二つの相対化

その1:ブログ記事の相対化

ブログを続けて10年以上になるわけですが、知らない間に「ブログ記事とはかくあるべし」のような概念が凝り固まっていました。そのことは、「倉下忠憲の発想工房」を書いているときに気がつきました。

そこでは、きわめて自由に文章が書けたのです。あるいは、「足かせがない」という感覚が近いかもしれません。

もちろん。その感覚は相対的なものであり、やはり外に向けたアウトプットなのですから、何かしら書くことや書き方に制約はあります。パーフェクトなフリーではありません。ただ、「R-styleの一記事」に比べればきわめて自由に感じられます。

考えてみれば、ブログ黎明期には「ブログ記事とはこのようなものだ」という感覚はなかったはずです。でも、今の自分にはそういうものがしっかり根を張っています。

一つには、ぬるい記事が量産されている状況への憂いと、それに対する反旗の心情があるのでしょう。ろくでもない記事を量産して喜んでいるような運営主にはなりたくないという想いが、一つの「目指すべき」形を立ち上げてしまっているわけです。

無論そうした姿勢が悪いわけではありませんが、しかし10個の記事のうち一つや二つくらいぬるい記事が混じっていても別段構わないでしょう。人間というのは、まあ、そういうものです。でも、そうしたものを許容できなくなる心の狭さが芽生えていたかもしれません。

またそのような姿勢が、「こういう記事でなければブログと名乗ってはいけないんだ」というような他の人の印象に接続していた可能性もあります。簡単に言えば、敷居をぎゅっと上げてしまっているのです。これは、基本的にはよくないことでしょう。

Webに情報を載せる形は、固いものから柔らかいものまで、小さな断片からやや大きな断片までさまざまあっていいはずです。でもって、それらがいろいろに混ざっているのも面白さの一つでしょう。

あらためて、自分はブログで何をどう書いていくのか、ということについて考えることが増えました。

その2:書籍の相対化

今月の月末に発売される『Scrapbox情報整理術』という本は、もちろんScrapboxで書きました。

Scrapbox情報整理術
Scrapbox情報整理術

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倉下 忠憲
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もちろん、執筆にはその他のツールもたくさん登場したのですが、中心的原稿管理はScrapboxで行いました。

でまあ、Scrapboxは便利なわけです。リンクネットワーク万歳!なわけです。

しかしながら。

そう、しかしながら、「じゃあツリー構造はいらないのか」と言えば、ニェットと首を横に振らざるを得ません(なぜかロシア語)。

Scrapboxがきわめて便利だからこそ、私はツリー構造が持つ意味について深く考えましたし、書籍が書籍であるということについても考えました。むしろ、書籍が書籍であるのならば、ツリーに(あるいはリニアな配列に)徹底的にこだわるべきなのだ、その構造が持つ力を最大限発揮させるべきなのだ、ということに思い至りました。

実際それは、うすうすとは気がついていたのですが、きちんと対峙できる別のメディア形式がほとんどなかったので、うまく特徴が浮かび上がってこなかった側面があります。

今回、情報をリンクネットワークに配置することについて徹底的に考えてみた結果、逆にコンテンツをツリー構造に配置することの意味についても考えることになりました。たいへん有益な思索だったと思います。

さいごに

基本的な話として、Scrapboxはめちゃ便利です。「これがやりたかったんだ」ということができてしまいます。でもって、それが知的生産の技術の次なるステップになることは、ほとんど疑いようもないように思われます。

一方で、ツリー構造にもきちんと意義はあります。好き嫌いはあるにせよ、そこにはきちんとした効能があります。パッケージされたコンテンツとツリー構造ならではの情報摂取体験があります。あるいは、そう信じているからこそ、今もこの仕事を続けているのかもしれません。

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