【書評】発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術(借金玉)

読書歴を重ねてくると、面白い本をかぎ分ける嗅覚のようなものが備わってくる。本書の著者についてはまったく存じ上げなかったのだが、表紙を見た瞬間にピンと来た。そして電子書籍で発売日に即座に買った。

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術
借金玉
KADOKAWA (2018-05-25)
売り上げランキング: 185

良かった。予想通りの面白さだった。

一つに本書は役に立つ本である。第1章「自分を変えるな、「道具」に頼れ 【仕事】」は、たぶんすごく役に立つ。この章で開示されるライフハックは、「ものすごく忘れ物をしてしまう人」の仕事術としてそのまま使えるだろう。

そもそも「発達障害」の有無で単純に人間を切り分けることは難しい。極端なことを言えば、すごく疲れているときや、すごく難しい問題を抱えているとき、私たちの脳は、私たちが期待するようには動いてくれないものである。そういう状況で必要なハックは、本書で提示される工夫とおそらく通底してくるだろう。この辺は、『消極性デザイン宣言』で語られる「炭坑のカナリア」の考え方と通じるところがある。

もう一つには、本書は面白い本である。著者は文章がたくみで、わかりやすくかつキャッチーに話を進めてくれる。「ちょっと、そんなこと書いて大丈夫ですか」みたいなこともあっけらかんと書き、それでいて前向きな(でも前向きすぎない)姿勢も提示されている。バランスの良い内容で、あまり暗い気持ちにはならない。

とは言え、本書にはずいぶんと考えさせられるところがある。具体的には第2章「全ての会社は「部族」である 【人間関係】」がそれである。

この章をどう読むのかは、たぶん読者によってかなり違うだろう。まっすぐに「なんとか人間関係を乗り切る工夫」として読むこともできるだろうし、馬鹿馬鹿しい要求をしてくる古めかしい制度への批判(風刺)としても読める。

ただし、話はそんなに単純ではない。「合理的」に考えれば一見馬鹿馬鹿しい制度(組織文化と言い換えてもいい)があり、実際それが本当に馬鹿馬鹿しかろうとも、そうした制度を持つ組織が現実に存在し、そこで働く人がいる、ということは間違いない事実なのだ。

その事実を無視して、涼しい部屋の中から「そんなのは合理的ではない。バージョンアップすべきだ」と評論家が口にしようが、組織は消えてなくならないし、代替する働き場所をその評論家が準備してくれるわけでもない。もちろん、そうしたものを「合理的ではない」などとはまったく考えない人たちも残り続ける。

そして、それを許容するのが「リベラル」な姿勢だろう。「私が考えたことが正解だ。だから、その色に染めるべきだ」という態度はまったくぜんぜんリベラルではない。形を変えたパターナリズムに過ぎない。この辺に難しさがあるわけだ。

ある状況に何らかの改善が必要だとしても、それが劇的に起こりうることは稀だし、代償も大きい。であれば、その状況の中で、なんとか生きていくための「すべ」が必要になる。たとえそれが演技だとしても、面従腹背なのだとしても、「今を生きる」ために支払わなければならないものがある。でなければ、(限定的な)文化資本が提供されないばかりか、攻撃さえしてくる。それがどうしようもない社会というものなのだ。なにせどうしようもない人間が集まって作っているのだから、これはどうしようもない。

その攻撃に耐えられる強さを持つ人ならば、「好き勝手にやっていく」という姿勢も取れるだろう。だが、それは万人のための教科書にはなりえない。むしろ、虎視眈々と、潰されないように生き延びるための方法論が、多くの人には必要なのだと思う。

自分への不満を、ありもしない「成功」獲得の夢に代替させ、そこにある日常を見下すような態度を取るのではなく、多少無理っぽくてもそこにある「部族」のノリに乗ってみるというのは、『勉強の哲学』で示された「アイロニーとユーモア」の切り返し(行ったり来たり)に近しいものかもしれない。

もちろん、そのノリにどうしても乗り切れないものを感じるなら、それは拒否すればいい。そこまで合わせる必要はない。ただ、一見馬鹿馬鹿しく思えるものでも、少しノッてみるという態度は、案外自分の殻を打ち破る力を持っているものである。そもそも、何を馬鹿馬鹿しいと思うかどうかの判断基準は自己の中にしかなく、それが正しいとは限らないのだから。

というわけで、本書は発達障害者向けに書かれた本ではあろうが、そうでなくても役立つだろうし、面白く読める本である。

おそらく本書を読んでいると、自分の中にはっきりとあった線引きが、微妙に曖昧になっていく感覚が味わえるだろう。でもって、それはぜんぜん悪いことではないように思われる。

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