情報が、集まらない問題

タイムラインを見ていたら、千羽鶴の話がいろいろ流れてきた。

各方面から、さまざまな意見が提出されている。中にはすごくバズっているツイートもある。

でも、それらって、どのくらい「使われる」のだろうか、ということがふと気になった。数万RTのツイートはたしかに大きな「影響力」を持っている。でも、それは今から千羽鶴をおる人に、どれだけ通じているのだろうか。

そもそも、そのバズったツイートは正しいのだろうか。一側面では正しいとしても、別の側面からの正しさはないのだろうか。そして、その二つの正しさを戦わせてみたときに、新しく立ち上がる正しさというものはないのだろうか。

断片的な情報放出と、断片的な情報摂取では、そうした変化はなかなか起きにくい。

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この記事は、いくつかの情報をとりまとめて提示してくれている。たいへん便利だし、有用でもある。情報の集約には、やはり価値があるのだ。

ただし、「いやそれは違うだろう」という意見を、この記事の中に直接書き込むことはできない。そこらへんに不便さは感じる。議論が起きないからだ。

でもって、必要なのは議論なのである。「正解」がない分野であればこそ、議論の必要性は高まってくる。

何か議論の対象になる出来事・事件があっても、それに関する情報がまとまっていないと、たまたまタイムラインに流れてきた情報だけで判断し、評価を下してしまう。

人間の認知にはフレーミングという偏りがあるので、タイムラインに流れてきた順番次第で、印象は変わってしまう。そこから手間を掛けないと、基本的な情報が欠落した状態での意見となり、たいていそれはほとんど役に立たない。

だから、議論に値するような問題が起きたら、それらに関する情報をぎゅっと集めてくれるサイトがあると本当に有益である。今北産業でなくてもいい。むしろ、要約は扱いが難しいのでまったくなくてもいい。「ともかく、そこに全部ある」という感じであればいいのだ。

それはいわゆるキュレーションであるのだが、キュレーションというだけでもない。単に情報が集約されているだけでなく、そこに個人が(つまり市民が)コメントを書き込めることが大切なのだ。

TwitterとTogetterの関係は実に素晴らしい。しかし、対象はツイートのみである。それを拡げたようなWeb装置があればいい。

で、ネットウォッチャーのような広範囲な観測主がクリッピングの情報を提供し、「一家言」の人たちがそこにコメントを書き込み、普通の市民はそれらを参照し、意見があれば書き込む。そういう「場」があれば、新規参入者も、途中参入者も同じ情報基盤に立てるし、なんなら半年ROMってもいい。

そして、適切に整理していけば、似たような状況が起きたときに参照できる抜群のデーターベースができあがる。

そのようなWeb装置において、気をつけたいことはなんだろうか。それは、パワーの源にしない、ということだ。

インターネットのこの10年において、メディアが金銭に変換できるパワーを持った途端に、ビジネスの手段として利用されすぎることを僕たちは目の当たりにし、そのたびにがっくりと肩を落とすことを繰り返してきた。

「お金が儲からないようなことを、一体誰がするんだ? インセンティブ設計は大切だ」

ウソである。僕たちは、お金にならないようなことをたくさん、たくさんしている。ときに親切心から、ときに名誉欲から、ときに出来心から、ときに単なる勢いで、僕たちは行動している。Webに参与する人間が5人くらいしかいないなら、それはそれで設計を考える必要はあるだろうが、これだけ人間がいるのだから、「勝手にやる」人は確実にたくさんいる。それで充分ではないだろうか。

これは別に儲けることの否定ではない。ただ、パワー装置となった瞬間に、乱立が始まり、そもそもの目的であった「情報の集約」からは程遠い地点に着地するであろうことは、インターネット・コンテンツの歩みを見ても明らかだし、それはぜひとも避けたい、というだけの話である。ほら、誰かも言っていた。賢者は歴史に学ぶ、と。

実のところ、僕はこの点において、Scrapboxに期待している。

Scrapboxはツールとしても秀逸なのだが、それと共に文化の再構築にも一役買ってくれるかもしれない。そういう想いを込めて、以下の本を書いた。

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皆さんはもうすっかりお忘れかもしれないが、当ブログのキーフレーズは「Sharing is Power!」である。「知」は独占するものではない。共有するものだ。そこから生まれる力は、金銭に変換できるパワーとはまた異なった色合いをしている。

情報の集約が、「こうすれば成功を手にできます」という文脈から切り離して語られるとき、そこには新しくも懐かしい地平が広がっていくのだと思う。

僕たちは、僕たちなりに、これからのインターネットについて考えていかなければならない。それは、僕たちと情報の付き合い方について考えることでもある。

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