箇条書きと知的トレーニング

WorkFlowyやScrapboxについて考えていると、自然と箇条書きについて考えることになります。

「箇条書き」ばかりしていると「頭が悪くなっちゃう」のはなぜか? | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 – 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net

 「箇条書き」は簡便な表現でありますが、それは「脆弱性」をもっています。
 「箇条書き」は、箇条に書き出した要素、概念感のあいだに「論理(ロジック)」をつくったり、「ストーリー」をつくったりすることができないのです。というか、それが一般には、求められないのです。
 なので、箇条書きばかりをしていると「思考のトレーニング」にならない。ロジックをつくったり、ストーリーをつくらなくても、提案ができ、人に伝えられると思い込んでしまうからです。

箇条書きに物事を書き並べただけでは、「思考のトレーニング」にはならない。たしかにそうでしょう。適当に話しているだけでは、「思考のトレーニング」にはならないのと同じことです。それ以上でも、それ以下でもありません。箇条書きかどうかが問題ではなく、頭を使っているかどうかが問題なのです。

めちゃくちゃ考えに考え抜いたあとに、その要点だけを抽出した箇条書きを作れば、それは立派なアウトラインであり、目次であり、論理構成があり、ストーリーがあるでしょう。考えなければ、それがない。それだけの話です。

よって、「だから箇条書きは使わない方がいい」みたいな結論はまったく出てきません。むしろ、私は箇条書きを支持します。なぜか。

引用文にヒントがあります。

箇条書きばかりをしていると「思考のトレーニング」にならない。

そう。トレーニングです。世の中のトレーニングとは、負荷をかけることでその能力の向上を目指すものでしょう。箇条書きでは、それが起こらないという指摘です。つまり、負荷がない。誰でも、簡単に実行することができる。この点が重要だと思います。

すべての人間が、頭の中で完璧な理論構築を達成できるようになるべし、みたいなことを言う人はいないでしょう。道具の助けを借りながらであっても、少しずつ思考できれば現実的な社会では充分だと思います。むしろ、「思考」というものをあまりに崇高に、あるいは専門領域に押し留めてしまい、市井の人間からそれを遠ざけてしまう方がより怖い事態が訪れる気がします。

その意味で、箇条書きはきっかけになりえます。箇条書きから思考をスタートするのです。なにせ、箇条書きは負荷が小さいので、とっかかりやすいでしょう。後は、少しずつ階段を登っていけばいいのです。

文章執筆のアドバイスでも、最初にメモを作りましょう、ということが言われます。アウトラインを作ったり、箇条書きを並べたりすることを勧める人も少なくありません。それだけでは、文章としては完結しないものの、一歩先に進むための補助装置として箇条書きを使う。言い換えれば、大きな困難を分割して、思考を進めていく。そういうやり方の方が、偏差値で上位を取るような頭のいい人以外にも開かれているでしょう。

でもって、「アウトライン・プロセッシング」というのは、そういう存在なのだと思います。

「アウトライン・プロセッシング」は、箇条書きを書いて終わり、というものではありません。そこから「思考の操作」が始まるのです。ツールの操作を通じて、思考を(あるいは概念を)操作する。そのための補助ツールがアウトライナーです。

もちろん、しっかり組み立てたアウトラインでも、それを文章化しようとすると、うまく話が流れないことが多々あります。川喜田二郎さんの『発想法』でも語られていることですし、実際に自分で体験したことも一度や二度ではありません。でも、その齟齬を、つまりアウトライン上では「綺麗に整っている」ものが、話としては流れていかないという体験を自分でしてみることが、案外大切なのではないかと思います。それは世の中に溢れる情報を覗き込む目をも鍛えてくれるでしょう。

結局いいたいのは、箇条書きが悪いのではなく、考えていないことが悪いのです。だからこそ問題は「いかにして考えるか」であり、むしろその場面において、箇条書きはきっかけになってくれると私は考えます。

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