トップダウンとしてのハッシュタグ

ハッシュタグはトップダウンである。

いや、ハッシュタグは何も悪くない。私たちがハッシュタグを使うとき、トップダウン的に使ってしまいがちなだけだ。

この点が、Scrapboxの良さを理解する上で、むしろ邪魔になる。だからこそ、『Scrapbox情報整理術』では、タグ的ではなく文章的・リンク的に記述しよう、と呼びかけた。

Scrapbox情報整理術
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Scrapboxでは、ページリンクもハッシュタグも、機能的には同じである。表示のされ方が違うのでUserCSSでデザインを切り分けることはできるが、役割としては等価だ。

しかし、#マークで始まる文字列を見かけると、つい私たちはハッシュタグ的な使い方をしてしまう。いわゆるアフォーダンスが発揮されてしまう。

しかし、この話はどうにもわかりにくい。

事実としては、まさに上のツイートの通りなのだが、なぜそうなのかが掴みづらい。今回はそれについて考えてみたい。

空っぽのページ

たとえば、以下のようなメモがある。

私はこのメモに文中リンクを付け加え、最後に「#断片からの創造」というハッシュタグを加えた。特に問題はなさそうだ。

では、この「#断片からの創造」というハッシュタグは、一体何を意味しているのだろうか。

empty.

空っぽである。

このページは、同じハッシュタグを持つ他のページへのブリッジングとしか機能していない。これが、ハッシュタグ的なのだ。単にページに記述がないだけでなく、今後それが追加される見通しもない。それが、ハッシュタグ的なのだ。

具体的事実のページと抽象的概念のページがあるだけでは不足 – 西尾泰和のScrapbox

抽象的概念ページを「ページ」だと認識しておらず、タグだと思っているので、空のページになってしまう

こういうことが起こってしまう。

省略されたステップ

ここでKJ法を思いだそう。複数の断片から、小グループの編成を再帰的に繰り返して、大きな構造へと至る手法だ。

Scrapboxの小さなページは、KJ法で使われる一枚の紙片に相当する。

では、ハッシュタグは?

KJ法の最終結果として提出される、一番大きな見出し(タイトル)である。あるいは、そのように使われがちだ。ここに問題がある。

※本来のKJ法

※KJ法を用いないハッシュタグ

「#断片からの創造」に関して、私はすべての断片を集めきっていない。だから、そのハッシュタグについて記述することはできない。それが何を意味するのかは、ほんとうのところで私はわかっていないからだ。

断片を集めていったら、最終的にそれは「#断片からの創造」ではなく、「#断片的、郵便的──梅棹忠夫について」とかそういうものに変質してしまうかもしれない。にも関わらず、「#断片からの創造」というハッシュタグを与えてしまっている。作り上げられる大きなツリーを支える幹、言い換えれば「来るべき幹」がしっかりと固定されてしまっている。

言い換えれば、私がメモに「#断片からの創造」というハッシュタグをつけるとき、それはかなり大きな粒度で「分類」してしまっている。これは複数のハッシュタグをつけても同じだ。「#情報窃取の作法」とか「#文章読本」とか、そういうものを同時につけたとしても、複数のツリーに対応させたというだけであって、断片から構成されるボトムアップ性が担保されたわけではない。

これがトップダウン的、ということだ。

以前の講演で、以下のようなスライドを提示したが、意味するところは上記のような話である。

見えにくいプロセス

この視点に立てば、なぜこの話がわかりにくいのかもわかってくる。

KJ法の中間段階がすっとばされているので、それを「分類」しているとは感じないのだ。言い換えれば、それを一つの構造に収めている、という風には思えない。単にラベルを貼り付けているように感じる。しかし、そのラベルは、自分が(中身を検討せずに)つけたコンテキストなのである。固定してしまっているのだ。

その点は、既存のよくある「カテゴリ」をハッシュタグとしてつける場合も同様だ。それは情報を大きな粒度、決め打ちの領域で分類することに相当する。

もちろん、それはそれで情報整理の一手法なわけだが、そこから何か新しいものが(あるいは変化が)生まれてくることを期待するのは難しい。そういう話である。

さいごに

私が最初にScrapboxを触ったとき、「ページの中にハッシュタグが簡単に書けて便利だね」くらいに思っていたのだが、そうではなかった、ハッシュタグがページリンクと同値であるということは、つきつめれば「ハッシュタグという概念っていらなくね?」というなかなかラディカルな姿勢なのである。

もちろん、本当にいらないとまで言ってしまえるかどうかはわからない。しかし、たくさんの情報をコレクションし、それを「分類」してまわっているだけでは、生まれない情報活動というのはたしかにある。

自分が設定した決め打ちの分類軸ではなく、また一般的に流通している分類軸でもなく、情報そのものにある記述的な説明によってつながりを増やしていくこと。そうしたものが担保する自由さに身を任せてみること。そこにScrapboxの神髄がある──ように思う。

とは言え、あまり「こう使いなさい」みたいに言うのは、使い手の想像力を抑制することになり、それはそれでツールの可能性を縮小しかねない。

だから、とりあえずは「ハッシュタグ的でないリンクの使い方」というのを、脳内にひとつインストールしておいて欲しい。それをどう使うかは、ユーザーの自由である。

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