0-知的生産の技術

good-bye ダッシュボード

Scrapboxの公開プロジェクトを作り始めたときは、結構アクセス数を気にしていた。

Most Popularでソートし、

一番トップのview数なんかを確認して、「おぉ、ちょっと読まれている」などと感情を動かしていた。

でも、今ではそんなことを気にしなくなった。どうでもよくなったというか、「閲覧数」という概念があること自体、記憶の中から薄れつつあった。

それでも、私は毎日楽しくScrapboxにページを追加している。これは結構大切なことのように思う。

アクセス数が目に入る影響

WordPressだと、ログインしたダッシュボードで、ご丁寧に直近のアクセス傾向をグラフで示してくれる。必要とあれば、より詳細な情報も提示してくれる。データ大好きっこの私としては非常にありがたい。

でも、そのことが私の書く記事に何も影響を与えなかったと断言できるかというと、いささか怪しい。多く読まれれば嬉しいし、あんまり読まれないと残念になる。だとしたら、残念な記事を減らして、嬉しい記事を増やすように、自然と心が動いてしまうのではないか。

「アクセス数を稼ごう」という御題目を設けなくても、ビジュアル表示されるグラフに私の執筆傾向が影響されてしまうということはあるのではないか。

もちろん、良悪の両面はあるだろう。読者を意識するからこそ「きちんとした記事」を書こうと思うのだろうし、だからこそ「きちんとした記事」以外は書けなくなってしまう。トレードオフだ。

ただ、そのトレードオフについて、これまで意識したことがあまりなかった。空気のように、「きちんとした記事」を書くことが当たり前という前提が私の頭の中に存在していたので、その他の可能性に思い至らなかったのだ。

Scrapboxの公開プロジェクトにメモ(というかメモ以上、記事未満)を投下するようになって、別段「アクセス数なんて知らなくてよいな」ということに気がついた。そういう数字が表示されなくても、私の記事投下意欲はまったく衰えていない。むしろ、たくさん書きたくてしかたないので抑制しているくらいである。

なんというか、良い意味でも悪い意味でもScrapboxでは「気にしてない」。単に思索を書き連ねているだけである。それが実に開放感がある。自分が背負い混んでいたものの重さが、改めて実感される。

さいごに

私たちに自由意志があるのかどうかについては議論の余地があるにせよ、自由意志があった場合でも、それは独立的・完全自律的に作用しているわけでないことは確かだろう。私たちは、身の回りの情報に影響されて、意思決定を行う。いや、そこまで意識的なもの以前が、周りの情報に影響される。

数字を追い求めることは悪いことではない。それは一つの芸である。肯定的に捉えられるだろう。が、数字を見せられることで、意図しない形でその影響を受けることはあるだろうし、それは良いことではないように思う。また、数字を追い求めない(あるいは追い求めることができない)領域もまた、この世界には存在しているべきだろう。多様性とは、「いろいろな形の数字の追求の仕方がある」ことだけでなく、「そんなものとは無関係な仕方がある」ことを許容するものだと思う。

アクセス数が上がるのは楽しいし、たぶん現実的効能もあるだろう。しかし、行為は指標に影響される。そのよしあしは、個々に検討されるべきだろう。

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