R-styleらしさの檻の中

できることなら、私は歌うように記事を書きたい。そんな風に考えています。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
倉下忠憲 (2015-05-28)
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「呼吸するように記事を書く」という表現を見かけた際に、自分が感じた違和感を上の本では書きました。

私にとって「記事を書く」とは、息を吸うことよりも、もっとずっと意識的なパフォーマンスです。気楽にやるというよりは、気を入れてやる。そんな行為です。正解か不正解かは別として、私の中ではそうなのです。

で、そのようにして記事を書くことは、私の中では十分意味あるものでした。意義あるものでした。

でもやっぱり、良いことと悪いことって両方あります。気を入れすぎるあまりに、「ささやかな話題」が置き去りになってきたのです。こまかいテクニックが紹介しづらくなってきたのです。

自分(のブログ)の立ち位置が、ネタフルや百式とは違うぞ、と意識すればするほど、そうした傾向は強まりました。人間がそうであるように、ブログだって、ある特性が時間と共に強まってしまうことはあるのでしょう。人間が更新しているのですから、仕方がありません。

■流れる話題

こまかいテクニックについては、Twitterなどで共有することはありました。が、そもそもタイムラインを見ていない人もいるでしょうし、一定期間が経つと後から見つけ出すのが難しくなります。刹那的。あまりにも刹那的です。

結局、R-styleだけしかない、というのは情報発信の視点で見ると偏りなのでしょうし、そこにTwitterが加わっても、たいした違いはありません。

つまり、Twitter並に気を入れずに更新しつつ、しかも後から参照しやすいメディアが必要でした。必要というか、それがあることで、R-styleとそのメディアは補完的な関係になれるはずです。

一人の物書きとして、あるいは文章書きとして、「美文章」へのこだわりを捨てるつもりはありません。今後もR-styleは、ずっとR-styleのまま在り続けるでしょう。

しかし、その在り方に固執することによって捨ててしまってきた情報の断片はたしかに存在しますし、それを集めるメディアもまた在った方がよいだろう、と少しずつ考えるようになってきています。美文章だけが、情報ではない。当たり前の事ですが、改めて確認しておきたいことでもあります。

今ではもうすっかり、息を吸うようにScrapboxを書いています。先日書いた「気にしない」ことには、気負わないことも含まれています。

Mr.Childrenの『名もなき詩』の中に、”知らない間に築いていた自分らしさの檻の中で”という歌詞がありますが、たぶん私もR-styleらしさの檻の中にいつの間にか入っていたのでしょう。そして、そこから出て「自由」を得る代わりに、檻の中に自分の意志で留まることを選択し、その上で別の在り方も並行的に走らせる、という方向性を模索しています。

ややこしいように思えますが、今の自分にとってはそれが一番楽しい形です。

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