先日、Scrapboxのリファクタリング記事を書いたら、「なかなか手間がかかるのですね」とコメントを頂いた。たしかにそうだ。
先の記事で紹介したのは、直近やった中で一番手間がかかったものであり、だからこそわざわざ記事として紹介した(それでも時間自体は大してかかっていない。動かしたのは徹頭徹尾頭である)。
が、そういうのが一般的な活動だと認識されて、Scrapbox=面倒、という認識を確立させるのは私の望むところではない。そこで少しフォローの記事を書いておく。
Nowhere Memo
行き場のないメモ、というのがある。たとえば、以下のようなものがそれだ。
とある本の概要を読み、自分が体験そこに絡んできて、一つの思いつきが生まれた。その思いつきをしたためたのがこのメモなのだが、これの扱いが非常にやっかいなのだ。
この着想メモが、一体何なのかが私にはわからない。どうにでも使えそうな気がするし、だからこそどう使えばいいのかが定まらない。
“He’s a real nowhere man
Sitting in his nowhere land
Making all his nowhere plans for nobody”
──「Nowhere Man」
EvernoteやWorkFlowyでは、このようなひとまとまりの着想メモがまったく扱えていなかった。どこに位置づけるかを決めなければならなかったからだ。が、それが決められないのがこうしたメモなのである。
強いて言えば、情報社会論であり、情報摂取の作法であり、僕らの生存戦略である。そのそれぞれの文脈にこの着想メモは踏み入れている。ノートブックや階層に位置づけるやり方はまったくうまくいかない。
だったら、タグだ。アイデアノートブックとか、incubator項目とか、何かしらそうした「未分類」の場所に入れておき、タグづけすればいい。
WorkFlowyでは?
WorkFlowyならこうなるだろうか。
別段悪くはない。問題は、「開かれすぎた可能性」と「ジャム実験」がこの項目の下位項目に位置づけられていることくらいだろうか。
私はこの着想メモを書きながら、「これは、現代の開かれすぎた可能性がもたらす弊害だな」ということを思いついた。それは「僕らの生存戦略」に少し関わりあるかもしれないが、少し異なる文脈かもしれない。「だったら、これもタグにしておくべきだろうか?」──そう、そういう思考が働いてしまう。
その情報を、管理するための方法に関する思考が働いてしまう。その思考が、わずかに重い。
Scrapboxならば単に記述して、ブラケティングしただけだ。で、本文を読んで、そういえば情報社会論に関する言及がないなと思って、それだけをハッシュタグ風に付け加えておいた。これはもうあってもなくても構わないものだ。
ちょっと添えただけのもので、そのタグが強力な効果を発揮することは私は期待していない(むかしはそういう効果をすごく期待してて付けていたことは言い添えておこう)。むしろ「可能性」とか「重圧」とか「開かれすぎた可能性」で引っ張り出される方が、このページは活きる予感があるし、それで十分だと感じている。
で、もう一つの「ジャム実験」に関しては、私は何度もこの概念を用いているので、他の着想にも出てくる予感があるが、WorkFlowyのこの項目の下に解説を書いてしまうと、他の項目でも同種のことを書かなければならず面倒だ。だから、項目名だけできっと終わりにするだろう。それはたぶんあまり良いことではない。
Evernoteでは?
Evernoteなら、ノートリンク+タグの形で、上記を再現することになるだろう。
が、そのサンプル画像を作るのも面倒なので、掲示はやめておく(推してしるべし)。
細分化されるリファクタリング
着想メモは、ささっと書き留めたいのだ。書き留めたいだけなのだ。
ある程度わかるように、文章化・言語化しておく。そのために、ほんの少しだけ手間を加えておく。
どこにも位置づけたくないし(≒位置づけるための思考を働かせたくないし)、むやみやたらな手順を挟み込みたくもない。ただ、書くだけ。そして、リンクを作るだけ。
これまでは、ただ書き留めただけのものは、そのまま放置されてきた。利用される可能性が著しく低かった。特に、利用目的がその時点で明確でないものは、壊滅的だった。
Scrapboxはそれができている。これはかなりすごいことである。
ポイントはリファクタリングであり、それを前提としたラフなメモ書きの許容である。
Scrapboxを使っているときは、「あとで手を入れるから、まあ、これくらいでいいか」という気持ちになれる。安易にメモ書きを中断できる。上で示したページも、「ジャム実験」がリンクになっていないが、まあいいかと思っている。そこまで躍起になっていない。で、必要になったら(必要性を感じたら)リンクにする。
記述も、配置の入れ換えも、リンク先の記述もそうなのだ。すべてが中途半端でいいし、未完成でいい。最低限ページがあり、リンクがあれば、そのページを「使える」可能性があり、そのタイミングでリファクタリングすればいい。
違い
もちろん、この運用手順の大部分はWorkFlowyでも可能である。
※Evernoteでも不可能ではないだろうが、快適とは言い難いことは予想できる。
とりあえず書き留めて、後から手を加える。そういうことを日々実践すればいいだけの話だ。
ただ、違いは二つある。
一つはソート順である。Scrapboxでは、ページを編集したりあるいは表示したりすれば、それが上位にくる。WorkFlowyではそれを自分で行わなければいけない。むろん、意識的に上部に来るものを選べた方が良いこともあるが、そうでないこともある。
※そうでないことの大部分は、面倒さに関係する。
で、もう一つが数である。上記のような着想メモを書き留めていくことは、ずっと続いていく。そして、その数が減ることは基本的にはない。もちろん、書籍執筆などで再生産に利用され、その役割を終えるということはあるかもしれない。が、そうしたことがあるにせよ、そのスパンは極めて長いものである。
そうなのだ。現時点ですら、私の着想メモ用Scrapboxプロジェクトはページ数が500を越えている。本格的に使い始めて、それほど時間が経ったわけではないにも関わらずである。一年経てばどうなるのかまったくわからない。
WorkFlowyならそれらの項目がずずーっと縦に並ぶことになる。しかも私はその中にカテゴリ的な階層を作りたくないのだ。でもって、それは自動的にソートされないのである。
リファクタリング作業の中に、カテゴリ構造を作りそこに項目をまとめ入れるとか、再生産してちょこちょこ出していく、というものが含まれている場合であれば、スクロール量が巨大になりすぎる事態は避けられるだろう。
が、そうではなくただただ増やし続けていく場合は、やたらと縦に長くなり、項目の移動がけっこう面倒になってくる。下の方にある項目を上の方に移動させるのも一苦労である。
※単に最上部に移動させるだけならば、一度階層から外に出して(上位に押し上げて)、元の階層をcollapseしてドラッグすればスクロール量は激減させられるが、これも手間ではある。
別段そうした苦労をものともしない人もいるだろうし、定期的なリファクタリングで操作性を担保するやり方もあるだろう。この辺の作業感の違いによって、ツールの適性は変わってくる。だから、Scrapboxのみがアイデアの育成に使えて、他はまるでダメだ、という話にはならない。育て方の違いがあるのだ。
さいごに
とりあえず、私はScrapboxに日々「気楽に」メモをしている。メモというか、軽い雑記を記している。豆論文ならぬ、種論文を示している。
それらは単に書き留められ、二、三のリンクが付けられるだけだ。そういう気楽なものがたくさんある。で、そのうちのいくつかはリファクタリングという手が加えられる。そうした事例をこのブログでは紹介している。
これまではまったくそうしたことが起きていなかった。Evernoteではほぼ発生せず、WorkFlowyは最初の内だけだった(数が増えすぎると私の脳では手に負えなくなってくる)。だから、新しい体験をブログでは紹介したいと思っている。しかし、その裏側に「気楽にメモできている」という状況がある。日常がある。
しかし、「日常」はあまり記事にされない。でも、日常こそがツールを使う上では重要であり、基本であり、土台である。
コメントを頂けて、そのことに気がつけて良かったと思っている。
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自分の「あとで」を信じられるから、気楽にメモできる。これはけっこう大切なことだ。で、「あとで」を信じられるなら、ツールはいろいろ選択肢がある。それもけっこう大切なことかもしれない。
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