思考は転々とする

丸亀製麺で、「坦々うどん」を食べていたら、ふと思考が転がっていった。以下は、なるべく忠実にその流れを追いかけたものだ。

(同じものは「低価格路線の小売業の客単価アップ」でも読めるが、こちらは整形されている可能性あり)

最初は安さを売りにしている飲食業が高単価商品に力を入れている事例を分析しているのだが、途中から客層分析になり、そこから所得の二極化に話が進み、さらにソーシャルゲームの話に移行している。もう飲食業なんてぜんぜん関係ない。

だからこのメモはリファクタリングが必要なのだが、それはさておき、「飲食業」から「ソーシャルゲーム」への話の連なりは、一種のカテゴリ超えである。分類方式に厳しい委員長タイプの人間がいたら、プンスカ怒り出すことだろう。「阿良々木君、それは違うんじゃないかな」などと。

しかし、思考というものは、あるいは思索というものは、別段カテゴリ通りに進んでいくものではない。そういうのは、軽々と越境してしまうものなのである。むしろ、カテゴリというのは、そういうひと連なりのものを、何らかの目的・意図によって、ぶつ切りにしているにすぎない。

もちろん生得的なカテゴリというのも、たぶんあるのだろうけども、少なくとも「飲食業」と「ソーシャルゲーム」の区別は恣意的なものでしかない。「BtoC」という大きな枠組みで見れば、同一のものにもなる。そういうあやふやな境界線なのだ。

だからこそ、WorkFlowyは、すべてを一つのアウトラインに入れる。すべての項目が一つのアウトラインに配置されているとき、そこに発生する区分けは、恣意的なものでしかないことが強く意識される。フォルダのような強権的な、トップダウン的な、決定されたらなかなか替えられないような、パターナリズムな区分ではないのだ。いつでもそれらはクルリと変わってしまうものなのだ。

もちろん、上記のように話が転々としてもらってはまとまらないから困る、という立場はありうるだろう。「とりあえず」話をまとめるために、越境を禁止し、区画を整えて、交通整理を行うことには一応の意義がある。が、それを万物の「整理」に当てはめて良いのだろうか。

関係性のままに、関連性のままに、ただただ思考を転がしていくことを制度的に(言い換えれば前駆的に)抑制ないしは禁止してしまっても良いのだろうか。

「いや、私はあるカテゴリに沿って思考を思いつきますし、そのカテゴリ外のことなんて何一つ思いつきません」という人ならばもちろん問題ないわけだが、そうでない場合は不自由さを感じてしまうだろう。そういう不自由さは、なにしろ厄介だ。時間が経つと、それに慣れてしまう。だからこそ、文化や環境設計は大切なのである。

とりあえず、一番最悪なのは、何かのカテゴリをスタート地点として書き始めた後に、別に思いついたことを「これはカテゴリ違いだから書かないでおこう」と手を止めてしまうことである。もっと言えば、それについて考えることを止めてしまうことである。そこに、一番面白い宝石が眠っているかもしれないのに。

というわけで、やはり基本的な動作は、まず思いつくままに書く→後からそれを整える(あるいはリファクタリングする)というものだろう。真理省に努めているのでない限り、そのようなやり方が頭の使い方としてはよろしいように感じる。

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