人は情報を汎用的に扱う。
よって、情報作業ツールは、汎用的に使えるのが望ましい。
実際、多くの情報作業ツールは、多目的に使えるようになっている。日記を書いてもいいし、ワインカタログを作ってもいいし、タスクリストとして使ってもいい。いろいろな使い方が許容される。
では、ツールは、そのようなあらゆる使い方に対応できる機能を実装すべきなのだろうか。
もちろん、そんなことをすれば、やたらと動作が重くなり、メニューは複雑化し、画面にボタンが溢れかえる。とても使えたものではない。
となれば、公式は最低限のプレーンな機能だけに注力し、それ以外についてはプラグインで対応すればいい。実際多くのエディタはそうなっているし、エディタ以外のツールでもプラグインに相当する機能を持つものは多い。
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梅棹忠夫は、知的生産に使うカードは、多目的に使えるものを推奨した。その実装はどういうものだったかと言えば、余計なものを排したカードだった。
すべてのバインダーに対応した穴が空いているとか、無限の罫線が設定されているとか、そういうものではない。ごくシンプルなカードだ。もし、必要ならば、使い手が後から加工すればいいだろう。
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知的生産の工程というのは、どうやら人によってずいぶん違うらしい。誰も彼もが、どこかしら自己流で原稿を書き進めている。それはきっと、頭の働かせ方が違うからだろう。知的生産が、情報的に(知的作用的に)新しいものを生み出す行為なのだから、そうした差異が生まれるのは仕方がないというかいっそ必然なのかもしれない。
だからこそ、汎用的に使えるツールはありがたい。自己流の工夫がそこに加えられる。
そうでないものは、ずいぶんと息苦しい使い心地になる。
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情報作業ツールは、汎用的であるのが望ましい。
そして、その汎用性は、プラグインという拡張性で支えられている方が、より望ましい。
それぞれの人が、ぞれぞれの使い方に合わせた機能をインストールすればいい。で、そのプラグインは第三者が自由に開発できると、なお良い。
そのような形になっていれば、公式は有象無象の「使い方」の要望に応えるためにリソースをさく必要がなくなり、コアの機能の開発に専念できる。
さらに、知的生産の「工程」ということを考えれば、一つのツールから、恙なく別のツールに情報を移動させられることもポイントになるだろう。それができるなら、ますます元のツールは「身の丈に合わないこと」を実装する必要がなくなる。
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