7-本の紹介

【書評】『知的生活の設計』(堀正岳)

私の頭の中には、個人的な書籍カテゴリというのがあり、そのカテゴリの中では『知的生産の技術』『知的生活の方法』『考える技術・書く技術』などが同じカテゴリに収められている。1970年近辺に発売された新書群である。

判型は違うものの、本書もそのカテゴリに入る一冊だ。もちろん、タイトルからではなく、その内容によって。

知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略
KADOKAWA / 中経出版 (2018-11-24)
売り上げランキング: 113

知的生活とは

本書は、10年後を見据えた知的生活を送るための指南書である。

では、なぜ2018年の現代において、「知的生活」などと言う、いっそカビのはえかかった営為について考える必要があるのだろうか。1970年と言えば、今から50年ほど前の話である。大昔というほどではないにせよ、古き良き時代として語られるくらいには隔絶があるだろう。

答えは簡単だ。「知的生活」という言葉は古くなっていても、その営為自体はまったく古びておらず、むしろ現代においてその可能性を広げつつある、というのが著者の見立ててである。

 しかし実際には、現代の情報社会でおよそ「知的生活」的なものにまったく触れずに生きている人はほとんどいません。あなたは本や漫画を読まれるでしょうか? アニメを楽しんだり、音楽や映画を楽しんだりするでしょうか? 趣味のために時折財布に痛い出費をしたり、遠くまで旅をしたりするでしょうか? 
 そのすべてが「知的生活」の芽を含んでいるといっていいのです。

50年前どころか、10年前と比べても、私たちの前に提示されている情報の数は多く、バラエティーも豊富である。そして、それらの情報はまるで松下幸之助の水道哲学をなぞるかのように安価になりつつある。限られた貴族だけが手にできるものではない。

となれば、次に問題になるのは、それらの情報との付き合い方・使い方であろう。

ここで本書における知的生活の定義が出てくる。

すなわち、知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合だと考えるのです。

消費から生産への転換。生産を志すというよりも、むしろ生産せざるをえないような形で情報を受け取ること。それが本書が示す知的生活の骨子だ。

過去と現代の知的生活

現代においても知的生活が息づいているのならば、それこそ古典になりつつある『知的生産の技術』『知的生活の方法』といった本は有用に読める。

では、あらためて現代において本書が提出される意義はどこにあるのだろうか。以下の点にあるように思う。

・デジタル化/ネット普及
・発信の容易さ
・ロールモデルの消失

50年前に比べて、私たちは強力な武器を手にしている。情報のデジタル化と、インターネットだ。これらがどれほどの力を持つのかは改めて論じるまでもないだろう。古典の本では、その取り扱い方が語られていないので、現代的な視点で磨き直すことは必要である。

また、それと関係して、個人がPublishすることが容易となった。梅棹忠夫は個人用のカメラが普及するのを見て、いずれ家庭を発信局とする情報創造が行われるようになるだろうと予見したが、まさにその通りに、いやそれ以上の状況になっている。なにせ今では、スマートフォンを持って歩く個人一人ひとりが発信局なのだ。

渡部昇一は、『知的生活の方法』の中で、受動的知的生活と能動的知的生活を区別した。受動的知的生活とは「主として本を読み、考え、また友人などと話し合うこと」であり、対する能動的知的生活とは「本や論文を書いたり、新聞・雑誌など、マスメディアに意見を発表すること」である。渡部はこの両者を区分した上で、能動的知的生活者はしっかりと資料を確保しなければならない、つまり自らのライブラリを整備する必要性を説いている。

しかし、Publishの容易性はこの二つの区分ではない、むしろその中間辺りに位置する人々を大量に生み出した。第三の知的生活者である。

第三の知的生活者は、その時点では「本や論文を書いたり、新聞・雑誌など、マスメディアに意見を発表すること」が期待されているわけでも、実際にその役割を担っているわけでもない。かといって、単に思索で終わっているわけでもない。自らのメディアの中で何かしらの発表・発信を行っている。そういう人たちが、爆発的に増えたというのが現代の特徴だろう。

しかし、そのロールモデルは非常に見えにくい。理由は三つある。一つは、いわゆる「能動的知的生活者」の発信する情報が強い点だ。これはどうしようもない。雑誌の特集で「特に有名ではないブロガーの情報整理術」といった企画が組まれることはないだろう。やはり求められるのは(あるいはそのように想定されるのは)すでに力を持っている人の情報なのだ。

次なる理由として、大学のようなある種の徒弟制度の中に放り込まれなくても知的生活をスタートできる点がある。現代では、師を持たなくても簡単に知的生活が始められる。だからこそ、足がかりとなるロールモデルも欠落してしまう。

そして最後の一つは、ネットでは極端なことがひたすらに目立つ点が関係している。平々凡々な情報はバズることはなく、第三の知的生産者のような中途半端な存在がネットで浮かび上がることは稀だ。

以上のような理由から、知的生活が現代的であっても、現代的な知的生活の情報は手に入りにくい。

だからこそ、本書を読んで、「こういう本が読みたかったんだ」と言う人は一定数存在するだろう。本当に手に入りにくい情報なのである。

本書が提示するものとその役割

では、本書は何を提示しているのか。以下の三つのポイントを挙げたいと思う。

・憧れ駆動であること
・自分の興味を大切にすること
・リソースを活用すること

まず本書の情報の大部分を構成しているのは、三番目の「リソースの活用」である。リソースには、時間・空間・お金といった要素が含まれていて、そうした要素が知的生活のデザインを構成する。これが肝であることは言うまでもない。

そして、そのデザインの指針を占めるのが、「自分の興味」である。これは一見当たり前のように見えて、発信の敷居が著しく低い現代では注意しなければならないポイントでもある。他人様にウケること、あるいは利益が得られること。それが情報発信のコアにすり替わってしまうことがいつでも起こりえる。なんといっても、人間は社会的な動物なのである。そこには一種の重力のようなものが働いている。だからこそ、注意を払う必要があるわけだ。

さらに、「憧れ」という視点も欠かせない。憧れに向けて背伸びするからこそ、私たちはより高いところに手が伸ばせる。「憧れ」があるからみっともないことはできないし、そこから誠実さのようなものも生まれてくる。そして誰かへの憧れは、いずれ誰かの憧れへと引き継がれていく。良いか悪いかは別として、我々はそのようにして文化を築いてきたのではなかったのか。

ここから本書の役割も見えてくる。

・アジテートすること
・目を向けるべきものを教えてくれること
・自分に取り得る戦略を考えさせてくれること

本書は、そのような本である。

さいごに

最後になるが、この内容の本が、このテイストで書かれて、2018年のビジネス書の棚に並んでいること自体を言祝いでも良いと思う。

一見即効性があり、その実何の積み上げも促さないような情報に価値が置かれる現代において、目先の実利を約束しない本書の在り方は、誠実でもあり、また冒険的でもある。著者の勇気すら感じられる。

時間をかけて、自らが積み上げたものは、そんなに簡単には崩れない。それは何の権威も生まないかもしれないが、少なくとも自分の拠り所にはなる。そして、階段を登った先には、それまで見たことがない、むしろそんなものがあるなんて想像もしなかった風景が広がっている。

興味の種を植え、しつこさの水を蒔き、実った成果を他の人に贈ること。

でも、そうしたものはおまけみたいなものである。自分の興味を損なわないように、いっそ広げていくように情報と付き合うこと。そのような生活そのものが、一つの報酬であるのだから。

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