7-本の紹介

【書評】『手帳と日本人』(舘神龍彦)

なぜこんなに日本人は手帳を愛好するのか。

本書は「手帳論」である。しかも、ノウハウとしての手帳論ではなく、文化としての手帳論だ。

著者は、手帳術に関してさまざまな著作を持つが、『手帳進化論』で見られるような一歩引いた視点から「そもそも手帳とは何か?」を論じる著作も面白い。

本書もその系統ではあるのだが、なにしろ具体的な「手帳術」にまったく言及していないという点で異色の一冊である。そして、こういう本が読みたかったのだ、と思わせてくれる一冊でもある。

目次は以下の通り。

第1章 手帳以前の時間感覚
第2章 手帳が示す行動規範
第3章 手帳にあやかる人々
第4章 手帳大国ニッポンの実像
第5章 グーグル的な時間からの自由へ

全体を通して語られるのは、私たち日本人と手帳との関係だ。

では、なぜ手帳のようなありふれたツールに目を向ける必要があるのだろう。それは著者による手帳の定義を見れば明らかとなる。

手帳とは、「社会に共有される暦と時間軸を前提に、個人の予定記入欄を持ち、主に予定管理に用いられる小型のノート」である。

ポイントは、「暦」である。暦は、他者と共有されていて初めて価値を持つ。私が「今日はRashita暦の1月1日だ」と高らかに宣言したところで、他の人がそれを無視すれば何の意味もない。言語と同じで広く行き渡ってこその暦である。つまり暦は、共同体を円滑に回すために裏打ちされるルールにもなる。「この暦に従ってください」と暗黙の要求があるわけだ。

この点は、私自身の経験からも頷ける。20代の頃はコンビニで働いており、たいていは深夜の勤務だった。しかし、ごく一般的な手帳には、深夜3時や4時の時間軸は存在していない。そうした手帳を使う人にとってその時間は存在していないのに等しいのである。それは私の所属する共同体と、彼ら(つまり社会一般ということだ)が所属する共同体が規定する「時間」が異なる、ということであろう。

著者は軍隊手帳や年玉手帳を例に引きながら、そのような共同体の規範を使い手に「渡す」ツールとしての手帳に注目する。もちろん、手帳にプリントされているのは、ただの時間軸であり、カレンダーであり、訓示でしかない。しかし、肌身離さずそれを目にし、またそれ以外のものを目にしない環境では、徐々にそこで提示される世界観は内面化していく。手帳は、一種の文化装置としての機能を持つわけだ。

しかし、バブル崩壊の後、日本に存在していた共同体が弱体化したことで、環境は変わっていく。企業から従業員に配られていた年玉手帳が削減されはじめたのだ。それは片方では、自分で使うものは自分で選べる(/選ばなければならない)という自由の表出であり、もう片方では企業が従業員にそこまでお金をかけていられないという状況の露呈でもあった。

ここで手帳は大きく三つの流れに分かれていく。一つは、「会社が頼りにならないのだから、自分で頑張ろう」という自己啓発路線である。もう一つは、「あの有名人のノウハウにあやかろう」という成功法路線である。そして、最後の一つが、そうした自己に対するプレッシャーや、果てない成功欲求に対するアンチテーゼとしての日記路線である。最後の代表例が、既存の手帳からビジネス臭やマッチョさを隠匿した「ほぼ日手帳」であることは言うまでもないだろう。この辺りの詳細は、本書に詳しいのでぜひ一読してみて欲しい。

さて、本書はこのように主に戦後から現代にかけての日本人と手帳の関係性を解き明かしているわけだが、個人的に気になるのは現代から未来にかけての話である。その点は「第5章 グーグル的な時間からの自由へ」で扱われている。

圧倒的にスマートフォンが浸透した現在でも、紙の手帳ユーザーは多い。年末になれば書店や文具店では、圧倒されるくらいのラインナップが並ぶ。それはなぜなのだろうか。

一つには、単純に会社でクラウドが使えない、という理由があるだろう。一時期はもてはやされたクラウドツールだが、「セキュリティ上の配慮」で使えない企業は多いと聞く。また、会社のパソコンを家に持って帰ることができない、といった事情でも同じだ。そういう場面ではやはり紙の手帳が役に立つ。

あるいは、拡張性の低さもある。アプリケーションは、開発者が規定した使い方に合わせて使うしかない。紙の手帳でも似た特徴はあるが、自分の手でカスタマイズするのはごく容易である。たとえば、カレンダーアプリが予定の表示に3色しか用意していなければ、ユーザーはどうしようもないが、紙の手帳なら文房具屋でペンを新しく買えば済む。他にも、いろいろな要素で──アプリケーション開発者以外には──紙の手帳の方が拡張性が高い。

最後の一つは、メディアの切り替えである。著者の言葉を借りれば、”紙の手帳は、グーグル的な時間からの自由”とも言えるだろう。難しい話はすべて割愛して簡単に語れば、データ分析も、日報も、報告書も、会議も、予定も、すべてがディスプレイと向き合って完結するという状況に、ある種の息苦しさがあるのではないか、ということだ。意識を、モードを、魂を移し替える場所を人々が求めているのではないか、ということだ。利便性を得る代わりに、私たちは──プライバシー以上のものを──失っているのかもしれない。

現代において「手帳」について考えることは、いかに効率化を得るかという話に留まらない。私たちにおける時間性を──それはつまり、いかに生きるのかということでもある──考えることにもつながっていく。

手帳を愛好している人ほど、「手帳とは何なのか?」を考えてみると面白いだろう。

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