断片からの創造

段階的アウトプット

あるいは、メモから始める知的生産

舞台裏

メモの重要性
 古今東西の知的生産本ではメモが推奨される(保存するツールはさまざまある)
本はメモからできる
 アウトプットのグラデーション
 断片を扱うツールの有用性
 みんな一気に考えようとし過ぎている
  数学の計算も一桁ずつやるよね
Scrapboxは、{アウトプット,メモ}ツールである
一気に処理などできません
 でもそうしたくなる
万人に伝えなくて良い、説得しなくて良い、結論がなくてもいい
 要請と様式美
 限られた出版機会と、膨大なWeb

というわけだ。だから段階的にアウトプットしていくことを心がけた方が良い。断絶的ではなく、段階的に。

本編

知的生産の技術が扱われている本では、そのほとんどで「メモ」が推奨されている。

どのような手段で書き残すのかはまちまちで、ノート・カード・デジタルツールといろいろあるが、「思いついたことを書き留める」ことは、運動前の準備運動のように行うべきこととして認識されている。

で、そうしたメモが本の素材になる、という話も多い。実際私も、書き留めたメモから本の内容を組み上げることは珍しくない。まったくメモなしに書くのは小説くらいであり、その他の本は、メモがなければ書き上げることも不可能だろう(あるいは多くの困難を経験するだろう)。

メモは、本というアウトプットの準備運動であり、言ってみればその入り口である。

その入り口は、最終的なアウトプットへとつながっている。つまり、断絶的ではない。むしろグラデーション的である。

メモ書きが執筆の第一歩だとするならば、メモはもうアウトプットなのである。それが意識されないのは、そのメモを読むのが(たいてい)自分だけだからだ。

しかし、「未来の自分は他人」の公式を導入すれば、たちまちメモはアウトプットになる。

なぜメモを使うのかと言えば、私たちが頻繁に忘れるからだし、情報を一気に処理できないからだ。

人間の短期の認知処理の上限を考えても、「全体を一気に把握し、操作する」ことなど不可能である。だから、部品に注目する。断片で扱おうとする。アウトライナーを代表とする断片を扱うツールが重宝されるのもこの点にある。

文章をうまく書けない理由はいろいろあるだろうが、その一つに間違いなく、「一気に何もかもを言おうとしている」という点がある。そういうのは無理ゲーなのだ。まず、小さく言う。それを参照し、組み合わせ、織り込んでいくことで、大きな舞台を設定する。そういうことが大切だと、知的生産技術系の書籍は説く。私もそれに同意する。

数学の計算だって、筆算であってもすべての桁を一気に処理することはしないだろう。一桁一桁処理していくはずである。だったら、概念や情報を扱うときだって、同じようにした方がいい。

先日、気心の知れた人たちと、Scrapboxについて話をしていた。

その中で、ある人はこのツールを「ブログツール」だと捉え、別のある人は(主に私だ)「メモツール」だと捉えていることが明らかになった。

しかしそれは対立ではない。グラデーションの濃さの違いなのである。

私にとってR-styleはブログであり、発想工房はメモである。公開メモ、共有メモである。

どちらも自分の考えを書き留め、表し、公開している点は同じだ。ただそれが、どれだけ文章の体をなしているのかに関して差があるだけだ。そして、その差を除くなら、二つの媒体は基本的に同じである。

発想工房には、情報だけがあって、話とか流れとかジョークとかニュアンスとかアイロニーとか余韻とかはまったくない。「読み物」強度は非常に低い。

だからこそ、簡易に書ける。安易に書ける。

で、そうした素材を使い、今書いているような文章を紡ぎ上げることもできる。ここで行われているのは情報の伝達以上の何かなのだ。しかしそれは、プラスの値が大きい、ということではなく、斜めにずれた付与である。楽しみと言ってもいい。そういうものが、文章にはある。

しかしながら、すべての情報伝達がそうした「文章」の体を為したもので行わなければならない、というわけではない。なんならちょっとしたメモ書きで十分ということもある。コンテキストを共有し、読むことに意欲的な人間ならば、情報を伝達するための補助装置(たとえば物語仕立てで書くといったこと)をまったく必要としない場合もある。

ここで注意してもらいたいのは、アウトプットとパブリッシュメントは必ずしもイコールでない、という点である。もう少し精緻に言い直せば、authenticなパブリッシュメントとイコールではない。

昔は、出版機会は限られていた。いくつものゲートキーパーをくぐり抜けてたどり着ける、一種の到達点であった。だから、その内容は厳選されなければならず、吟味されなければならず、多くの人に読むに耐えるようなものにしなければならなかった。

しかし、Webは膨大な出版空間を私たちに用意してくれた。その空間の中では、authenticなパブリッシュメントの様式に必ず従わなければならない、ということはなくなりつつある。むろん、(ある種の)公共空間を利用するわけだから、最低限の心構えや法律の知識は必要だが、「文章」の体裁を整えなくてもアウトプットとして成立するようになっているのは確かだ。

そのようなマイクロ・アウトプットを積み重ねていけば、authenticなパブリッシュメントを行うための素材を揃えることにもつながるだろうし、素振りのような思考筋力(というものがあるとして)を鍛える効果もあるだろう。

で、それは伝統的な知的生産者が行っていたメモ取りとまったく同じなのである。

小さなメモは(認知的な消費が小さいので)考え易いし、それを皮切りに、考えを進めていくこともできる。

「いきなり2000字」なんて、難しい話なのだ。もっと小さな、あまりまとまりのない(それでいて意味はわかる)アウトプットを積み重ねることが、頭をはたらかせるスタートになる。

というようなことを力説するために、「文章」の体裁を整えたアウトプットを行うといかにも自己矛盾っぽいので、冒頭にこの文章を形成するために用いたメモを開示しておいた。この文章だって、一気にできているわけではない。いくら気楽に書いているように見えても(実際その通りではあるのだが)、裏側にはメモがたくさんある。

だからどんどんメモしていこう。そうすれば、メモとアウトプットの間にある(かのように見える)壁は簡単に融解していくのだから。

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