2-社会情報論

自動的ではない、ということ

選択結果という刻印

Scrapbox

Scrapboxでは、リンクは自動的に設定されない。言い換えれば、リンクにする言葉は自分で選ぶ必要がある。だからこそ、そのリンクには価値がある。選ばれたものとしての価値がある。

上のページは短い文章ながら、いくつもの名詞が出てきている。そのすべてが自動的にリンクになっていたら、はたして便利だろうか。少しの便利さはあるだろうが、それ以上にノイズが増えるだろう。

それに、[意見]と、[自分の意見]のどちらが良いのかを決められるのは、利用者だけである。意見という概念について深く検討したいなら、大雑把に[意見]とするより、[自分の意見][他人の意見]とした方がいいだろう。世界への解像度は人によって違う。それを確認できるのは、やはり自分なのである。

加えて言えば、このページにはWebという単語があり、──別のページではWebはリンクになっているが──、このページではなっていない。Webについて語っているわけではないからだ。それを判断できるのは一体誰だろうか?

アウトライナー

アウトライナーでは、項目は自動的に配置されない。言い換えれば、項目を置く場所は自分で選ぶ必要がある。だからこそ、その配列には価値がある。決められたものとしての価値がある。

視覚的に言って、上にあるものほど大切に思える。これは不合理な認知かもしれないが、それを踏まえたうえで上部に配置された項目には、利用者の意図が込められている。

同じことは、構造の作り方にも言える。何を上位構造におくかは、きわめて恣意的である。だからこそ、そこには意図が反映される。世界観が映し出される。あなたにとってのアウトラインがそこにある。

「7Notebooks」という項目は、最近の自分のテーマを上限七つまでで選択したものだ。人間の認知的にも7つくらいがちょうど良いし、項目が縦に並ぶアウトライナーでは、視認性を上げるために表示させる個数を限定しておくことは効果がある。

しかし、これだと、関心あるテーマが増えたときに困ることになる。7つよりも増えたら、何かを選び、何かを捨てなければならない。苦渋の決断である。だからこそ、そうして残ったものには価値があると言える。自らが選び出した、という感触がそこにはある。「あなたの検索傾向から、7つのテーマに絞り込んでおきました」というのとは、ぜんぜん違う。ぜんぜん。

刻印の残る場所

自動化して便利になったらいいな、というのは突き詰めると、知的作用を何もしないのが最高の楽園ということになる。知的作用は疲れるし、ぜんぜん楽ではない。そんなものは放棄すればいい。そのようにして扉は開かれ、反知性主義が招かれる。

『ホモ・デウス』や『ハーモニー』ではないが、楽さを極限まで追求すれば、意識の解体がその到着点だろう。文学の死である。

「そんなの極端な話だろう」

その通りである。だったら、線引きはどこにあるだろうか。私が問うているのは、その線引きなのだ。

新聞をハサミで切り取ってスクラップするのは馬鹿げているかもしれない。だったら、アルゴリズムが推薦した記事を読むのはどうなのか。それは線引きのこちら側なのか、あちら側なのか。

私たちというものの刻印は、どこに残されるのだろうか。

これは極限状態の話ではない。今現在の課題なのである。

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