0-知的生産の技術

炎上者には近づかない

えるものは小さく、失うものは多く

炎上芸を繰り広げるのは、個人の自由なので、それを抑制することはできない。

しかし、考えてみると、そういう人間に近づかない方が良い点がいくつかある。

まず第一に、まともな企業ならば、そういう人間にスポンサードしないはずである。まともな企業はブランドの価値を知っているし、その醸成に炎上者のような、注目を集めれば何をしたって勝ち的行為が貢献しないことも理解されている。どうせお金を出すならば、一時の注目を集めるのではなく、信頼を集めるための発信行為にお金を出すだろう。

こうしてまともな企業は立ちさり、残るのはあまりまともではない企業ということになる。つまり、あくどい商売であぶく銭は持っていて、広告宣伝費を大量に使えるけれども、それを受けてくれるまともな発信者がいない、というような企業だ。

そういう企業は、消費者からの信頼など必要としていない。一時的にであれお金を出す人間がいればいい。問題があれば企業を畳んで再出発すればいいのだから、体面などお構いなしである。

統計的に、あくまで統計的にではあるが、炎上者にはそうした企業のスポンサードが増えるだろう。で、あなたはそういう広告を見たいだろうか。宣伝をききたいだろうか。人生という限りある時間を、そんな情報摂取に消費したいだろうか。認知資源という限りあるリソースを、そんな情報摂取に振り分けたいだろうか。

そうでないならば、概ね近づかない方がよいだろう。もちろん、炎上者だってたまにはいいことを言うだろうし、真実の側面をついていることもあるだろう。が、おまけでついてくるものが鬱陶しい。

何もそれは、あやうい広告だけではない。炎上を誘発する発言を好む人もそうだ。そういう人と、どんなやりとりができるだろうか。どんなコミュニケーションが促されるだろうか。

私は薄汚く罵り合う小さな部屋からは即座に逃げ出したくなる人間である。あなたはどうだろうか。

ちなみにこれは、見るか見ないか、という話であって、そういう人たちを一段下に見ても構わない、という話ではない。人間にはいろいろ事情があるものだ。

もう一つ、これはゼロイチの話でもない。「ごくたまに見る」とか「わずかに見る」という選択肢はいつでも残っている。そういうことも含めて、自分の情報摂取環境を構築していくことは大切だろうと予想する。

まったく意識しなくても、触れた情報が無意識下に影響を与える可能性は大いにある。だからこそ、何を見るのかは、結構慎重に考えた方がいい。摂取したものの影響を受けやすい自覚がある人ほどそうである。

食べ物に関してはそうしているはずだろう。だったら、情報だって同じなのではないか。

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