時計の針は止まることがない。
私たちは失い続けている。
あまりに、私たちは失い続けているので、そのことを忘れてしまう。
ときどき、それを思い出させる出来事がある。
そのとき、はっと気がつくのだ。私たちは失い続けているのだと。止まることはできないのだと。
その中で、何を為すのか。そんな問いが浮かんでくる瞬間がある。
大義だとか成功だとか、そういうのとはまったく無縁に。
どうしても心に残り続ける問い。
そんなものなくたって、生活は成立する問い。
ある人はそれを意味だと呼び、別のある人は物語だと呼ぶ。
別になんと呼んでも構わない。
失い続けていくなかで、拠り所になるものさえあれば、それでいい。
たとえそれが傲慢だとしても。
たとえそれが無知なのだとしても。
たとえそれが罪なのだとしても。
仕方がない。それをスタート地点にするしかない。
誰も証明も、保証も、裏打ちもしてくれない。循環の構造に閉じ込めるしかない。
いずれテクノロジーが、その駆け足で鈍足な我々を追い越していくだろう。
その瞬間まで、私たちは輪の中を巡り続ける。環の中の歩き続ける。
それでいい。