今すぐ、本書を手に取った方がいい。
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そんなことを言われたら、つい気になってしまうのが人間の傾向である。でもって、そんな傾向を逆手にとるメディアの発信は後を絶たない。なにせ、実に効果があるのだ。
だからこそ、私たちはそうした表現を目にするたびに一つの問いを立てた方がいい。
「本当にそうだろうか」、と。
万物は流転する
本書の著者のひとりであるハンス・ロスリングは、次のTEDトークでも有名である。
洗濯機というものが私たちの生活にどんな影響を与えるのか。そして、その洗濯機は、この世界においてどれだけ普及しているのか。
彼の語りに触れていると、二つのことが思い浮かぶ。一つは、この世界はずっと変化してきたし、これからも変化を続けていくだろう、ということ。もう一つは、その変化は、──解決できていない問題はあるにせよ──基本的には良い方向に進んでいる、ということだ。
私たちは、このことをすっかり失念してしまう。あたかも世界は固定的であり、なんならどんどん悪くなっている気すらしてしまう。一体なぜだろうか。本書は、それに答える一冊である。
足りない賢さ
変えるべきものを変える勇気を
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを私に与えて下さい
ニーバーの祈りと呼ばれているこの一節からうかがえるのは、私たちの脳にはそうした賢さが標準装備されていない、ということだろう。
ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』が顕著だが、行動経済学はそうした「装備されていない賢さ」をいくつも指摘した。人間の認知には、統計的に発生する誤りがあり、それが「不合理」(ある基準系において合理的とは言えない)な決定や行動を導く。バイアスだ。
本書ではそれらのバイアスを10の本能(あるいは思い込み)と呼び、どのような性質を持つのか、それが何をもたらすのか、どうすればケアできるのかを解説する。10の本能は以下の通りだ。
- 分断本能
- ネガティブ本能
- 直線本能
- 恐怖本能
- 過大視本能
- パターン化本能
- 宿命本能
- 単純化本能
- 犯人捜し本能
- 焦り本能
これらの本能について知ることは、極めて大切なことだ。過度に情報が(というよりも、情報との接点が)溢れかえる世界においては、必須とも言える。
狩猟時代であれば、鹿や象の生態や性質に詳しくなることは生存に無視できないインパクトを与えただろう。農耕時代であれば、植物や土について詳しくなることが役立っただろう。そして、火や水の扱い方は、どの時代を通しても重要だったはずだ。
では、現代ではどうか。現代では、それらに詳しくなくても生存してはいける。その代わり、人間そのものについて、あるいは人間と情報との関わりについて理解しておくことは重要である。これほど情報で満ち溢れた世界なのだし、「民主的」な世界なのだから、当然であろう。
この世界は、人と情報の編み目で成り立っているのである。
見て、考える
さて、本書が言うファクトフルネスは、「事実に基づく世界の見方」である。
この物の見方は、人間のバイアスによりなかなか実現が難しい。どうしても、事実ではなく感情や先入観や、不十分な情報による断定が発生してしまう。しかも、その事実に気がつきにくい。バイアスに基づいた情報摂取と決断が行われているとは、とうてい思えないのだ。むしろ、自分はきっちりと考えているし、きちんと判断しているように思われる。自らに正当性があると強く感じられる。
一時期祭り上げられていた「自分の頭で考える」ことの危うさはここにある。どれだけ偏っていても、「自分の頭で考えている」つもりにはいくらでもなれるのだ。そして、自分で考えているだけでは、そのジャッジメントは下せない。袋小路に閉じ込められてしまう。
だからこそ、「事実に基づく世界の見方」なのだ。
最近では思考法といったものがもてはやされるが、どれだけロジカルに接続する訓練をしたところで、日常的な情報摂取が偏り、世界観が歪んでいるならば、正しく考えることはできない。正しく考えるためには、正しく見ることから始めなければいけない。
思考の免疫
本書の冒頭には世界の状況に関する13のクイズが掲げられ、世界中の人々がいかにそのクイズの答えを間違えたが公開されている。興味深いのは、無作為に選択肢から選ぶよりも正解率が悪かったことだ。それが示すのは、世界中の人々が、この世界について無知なだけでなく、間違った世界像を抱いている、ということだ。
このことを、まるでテレビでクイズ番組を見るように笑っていてはいけない。それは、本書を手に取るすべての人に突きつけられた事実なのである。つまり、自分事として、この10の本能と向き合う必要がある。
本書は、他人を批判するための本ではない。他人の失敗をあざ笑ったり、貶める材料として使うべき本ではない。
本書が「本能」という言葉を使っているのもそのためだろう。本書で指摘される間違いは、ほとんどどんな人でもおかしてしまう。もちそん、そこには自分も含まれる。
だからこそ、自分はこんな間違いをおかなさいと思ったら、「本当にそうだろうか」と問い直さなければいけない。何かを「考えた」とき、単純化本能・パターン化本能・犯人捜し本能……、に陥っていないだろうかを問い直さなければならない。
10の本能をどれだけ熟知したところで、人間の性質からそれを抹消することはできない。本書でも提示されているし、拙著の『「目標」の研究』でも示したが、ミュラー・リヤー錯視のことを知っていても、やっぱり線の長さが違って見えることは止められない。つまり、誤った思い/考えは、人間の脳から常に出てくる。それがデフォルトなのである。
だからこそ、問い直すのだ。問い直すことで、立て直すのである。
その意味で、これは免疫機構と言ってよいだろう。自問とは、思考の免疫なのである。
本書で紹介されるケアは、その免疫を強化するのに役立ってくれるはずだ。
さいごに
世の中のニュースというのは、(本書で言う)人間の本能にチューニングされて発信される。
危機感を煽り、稀にしか発生しないものを頻繁にピックアップする。日常的に起きている問題や、問題が起きないようにうまくこなした人、少しずつ良くなっている世界についてはほとんど言及しない。「ニュース性」がないからだ。別にメディアの悪意がそこにあるわけではない。私たちがそれを好む性質があるから、それに最適化されているだけだ。
そのチューニングは、ネット時代においてより強力になってきている。きっと本能だけに頼ったインプットなら、この世界は問題ばかり抱えた非常にネガティブな状態に思えるだろう。なにせ1000回に1回しか起こらないようなことでも、1000のメディアがあれば、そうしたことが毎日起こっているように感じられるのだ。問題だらけである。
もちろん、ここでの合い言葉は、あれである。
「本当にそうだろうか」
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