本の紹介

【書評】『アナログの逆襲』(デイビッド・サックス)

2000年以降の社会の歩みは、間違いなく「デジタル化」だったと言えるだろう。その急速な発展は、これまでの人類史で類を見ないほどのスピードであった。

当然、その発展は線形に進むように思われる。気がつけば、あっという間にデジタルに飲み込まれてしまう。そんな未来は容易に予想できる。

しかし、現実はどうだろうか。『手帳と日本人』の書評でも触れたように、紙の手帳はあいかわらず使われているし、むしろ微妙に伸びている節すらある。そして、どうやらそれは日本だけの話ではないらしい。

アナログの逆襲: 「ポストデジタル経済」へ、ビジネスや発想はこう変わる
デイビッド・サックス
インターシフト
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概要

本書は、「なぜ今アナログに注目が集まっているのか」を解きほぐすための一冊である。先に目次を見ておこう。

▼PART(1): アナログな「モノ」の逆襲▼
第1章: レコードの逆襲
第2章: 紙の逆襲
第3章: フィルムの逆襲
第4章: ボードゲームの逆襲
▼PART(2): アナログな「発想」の逆襲▼
第5章: プリントの逆襲
第6章: リアル店舗の逆襲
第7章: 仕事の逆襲
第8章: 教育の逆襲
第9章: デジタルの先端にあるアナログ

パート1では「もの」について、パート2では「こと」について言及される。

パート1は、ある種の人たちにはごく馴染みのある、そして楽しい話が盛りだくさんだ。レコード、紙のノート(そう、モレスキンだ)、フィルムカメラ、そしてボードゲーム。

日本でもレコードの復調の話は耳にするし、モレスキンだけでなく高級な紙のノートはたくさん種類が発売されている。フィルムカメラの動向は知らないが、ボードゲームも実は盛り上がっている。

これだけ簡単にデジタルゲームができる世界においても、わざわざ集まってボードゲームをプレイする人たちはたしかに存在している(我が家にもカタンやドミニオンなどのボードゲームがたくさんある)。

これは一体何なのだろうか。

体験の差異

一つは、単純にそれらの質的な体験が異なる、ということだ。デジタルのノートに書くことと、アナログのノートに書くことは、情報を保存するという点では同じでも、質的な体験は異なる。デジタルゲームでもそうだし、レコードだってそうだ。ストリーミングとMP3プレイヤーに大した差はない。しかし、レコードは違う。それは、一見似ていながらも、まるで異なる体験を私たちに与える。これは、epubによる電子書籍と紙の本でも同じことが言える。

この点は、いまさら力説するまでもないだろう。両方を、つまりアナログとデジタルを体験している人に取っては、言語化できないにしても、自明の事柄であるように思われる。

その体験を求める人がいるかぎり、アナログには一定の需要がある。

本書の面白い点は、このアナログへの一種の回帰を、懐古主義やラッダイト運動へと安易に結びつけていないことにある。

新たな価値の創造

では、なんだろうか。一つには、非常に実直的で申し訳ないが、それがお金になることである。言い換えれば、何かを売るときに、物を介在させることで単価が作れる。モレスキンやレコードになら(そして、その限定版になら)数千円を払う人はいる。デジタルツールでは、これはなかなか難しい。

特にデジタル/ネットの世界では、広い人にリーチさせるためにプラットフォームを利用する必要があり、そこでは価格決定権がほとんどないことすらある。たしかブロガーのいしたにまさきさんが、「ブロガーは物販をやった方がいい」といった旨のことを言っておられたが、それに通じる話であろう。

単価が取れれば、小規模の販売でもまとまった金額になるので、必死にスケールさせなくてもビジネスは成立する。これは無視できない話である。

次に面白いのが、〈アナログ/リアル〉は〈デジタル/ネット〉のアンチテーゼとして機能しているわけではない、という点だ。どういうことか。このブログの読者ならきっとアナログノートが好きだろうし、だとすれば綺麗に書き込まれたモレスキンやバレットジャーナルを見かけたことがあるだろう。どこで? ネットでだ。

そうなのだ。現代のアナログツールは、まるでウィルスがそうするようにデジタル・ネットワークの上を走って人々に伝播する。一緒にボードゲームするプレイヤーをネットで募集できる。中古のアナログレコードの在庫の情報がネットで検索できる。現代のアナログは、ネットと離別して、独立した圏を作っているわけではない。むしろ、積極的にデジタルを利用して、その良さを拡げようとしている。

この点を見誤ると、単純なアナログ VS デジタルの構図にとらわれてしまい、現状を見失ってしまうだろう。

文化はジグザグに進む

もう一つ面白いのが、文化がまっすぐには進まないことだ。これはクールさに関わっている。

mixiが中年男性ばかりになって衰退した、という話を聞いたことがあるのではないだろうか。同じようなことはFacebookにもinstagramにもある。それが時事tなのかはわからないが、キャズムが示すようなイノベーターから始まり、アーリーアダプターとアーリーマジョリティーを経て、全体へと普及していくような流ればかりでないことはたしかだろう。

本書でも提示されているが、中年男性(つまり、おっさんだ)たちがmp3やストリーミングを日常的に利用しているがゆえに、若者たちにとってはそれが「クール」な対象ではなくなり、むしろ周りの人が触ったことのないようなレコードが新たなクールの対象として認識されている、という現象があるらしい。私は若者ではないが、それでもその気持ちはよくわかる。

何かがカルチャーの主流になり、むしろカルチャーと認識されなくなった段階で、カウンター・カルチャーが立ち現れる。そしておそらく、その二つの相互作用によって(あるいは弁証法によって)、次なるカルチャーの道筋が立ってゆく。これは直進的な歩みではない。むしろ、ジグザグのような(つまり株式のチャートのような)形なのであろう。

さいごに

これまでの人類史では、アナログツールが圧倒的だった。その歴史はたいへん長いものである。一方で、どれだけ勢いがあろうとも、デジタルツールはまだまだ新参だ。不十分な点は多いし、それを埋めるためのアナログ(ツール)の需要は消えてなくなりはしないだろう。

でもって、デジタルが普及すればするほど、アナログ的体験には価値が生まれる(単価が取れる)という経済のメカニズムも忘れてはいけない。そこから生まれる何かもあるだろう。

とは言え、結局これは過渡期の話なのかもしれない。時計の針が300年も進めば、まるっきり歴史に埋もれて誰も彼もが忘れている話なのかもしれない。しかし、現代を生きる私たちにとっては、現在の(そして現実の)話である。

本書は、デジタル時代におけるアナログの価値を非常に強く示唆してくれる。デジタルの否定ではなく、むしろ活用した上でのアナログという位置づけ。そういうハイブリッドな思考を刺激する一冊である。

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