読書週間第一週目最終日である。今週は全入門書的性質を持つ本をメインに書評してきた。そのトリがこの本。古典中の古典である。
読書について 他二篇 (岩波文庫) |
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Arthur Schopenhauer
岩波書店 1983-01 おすすめ平均 |
私がいまさら書評するような本でもないが、私が誰かから「読書術について何か読む本ありますか?」と尋ねられれば、まず挙げる本の一つがである。
「痛快なまでの読書批判」がこの本の趣旨になるだろう。岩波文庫のこの本には「思想」「著作と文体」「読書について」の3編が納められている。
そして最後の「読書について」において徹底的な読書批判が書かれている。
ショウペンハウエルは「本を読む行為」を全面的に否定しているわけではない。
※彼自身が哲学者であり、本を書く人である。
しかし、ただ数をこなせばよい、読めばよい、といった読書のスタイルに対しては強い攻撃を加えている。
本文からすこし引用する。
「したがって読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がそのつどむさびり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないことである。」p133
「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。」p134
ショウペンハウエルが生きていた時代でも悪書は多く、良書は少なかったのだろう。そして、現代の出版業界においてはその状況はどう変わっただろうか。
これから読書をしていこうという人にこの本を薦める行為は、読書欲に水を差すかもしれない。しかし、ショウペンハウエルが警句を発してくれている「時間と力の限り」は現代においても当然存在している。失われた時間は二度と戻ってこないのだ。
前後するがp127に
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」
とある。ただ読むだけだとこのような状態になってしまう。そして何かをやった感覚だけが残りその人の思考力は何一つ鍛えられていない、などという場合が多い。これこそ「時間と力」の浪費である。
しかし、本自体の質が悪いと、考える材料すら見つからない場合もある。
結局、読書をする場合は、まず本を選ぶこと、そして読書中に自分の頭で考えること、が最も賢明な方法なのだろう。あとは、どのように本を選ぶのか、という問題が残っている。ショウペンハウエルは古典を薦めているが、現代においては、版を重ねている本、文庫本化した本などが一応の参考になるだろう。
瞬間的に売れただけでなく、時間というフィルターをかけても売れる本、であれば良書である確率はかなり高まる。
まずは、そういった本を読み、良書とはどのような本なのかを知ることが「読書家」への最初の一歩になるだろう。
※もちろん趣味で読書をする場合は、これにあたらないことだけ断っておく。
秋の読書週間企画については以下エントリー
「読書週間」に読書をして書評を書こう!企画概要
1 thought on “書評 読書について(ショウペンハウエル)”