「タスク」の研究

「未処理」が溢れかえる状況

タスク管理をお風呂でイメージしてみる。

4つの要素がある。

1. 流れ込む水
2. 貯まっている水
3. 水を貯め置ける場所
4. 出て行く水

このとき、

流れ込む水 > 出て行く水

であれば、時間が経過するにつれ、貯まっている水の量は増加していく。それが続き、

貯まっている水 > 水を貯め置ける場所

となったとき、オーバーフローする。お風呂がオーバーフロー、というおやじギャグはさておき、どうすればその状況が回避できるか。

実行量の増加

まず思いつくのが、

流れ込む水 > 出て行く水

この不等式をなんとかしよう、というアプローチである。具体的には、出て行く水の量を増やす。つまり、実行量を上げる。よくあるのが「効率化」だろう。

・自動化
・最適化
・能力向上

「自動化」はパソコン(アルゴリズム)を介して作業にかかる手間を減らすことだ。「最適化」は、たとえば実行スルタイミングや作業のまとまりを変更することで、より適切に実行できるようにすること。「能力向上」は、ようするに慣れだ。慣れれば、たいていのことは速く行えるようになる。

実行量を上げるには、これ以外にも方法がある。たとえば、起きている時間を増やす(≒睡眠時間を減らす)というのがそれだ。何の工夫もなしに実行量が上げられるお手軽な方法であり、よく使用されている(たとえば徹夜の試験勉強)。

ただ、どちらの方法を使うにせよ、上限というものがある。お風呂のサイズ以上に、水を流すことはできないのだ。また、お風呂のサイズとそこから排水溝のサイズが同じになってしまえば、それはもうお風呂とはいえない(それはそれで一つの選択ではあるが)。

比喩を戻せば、効率化では人間の限界は超えられない。

唯一、アルゴリズムによる自動化だけはその限界を超えさせてくれるように思える。あらゆることが自分の手を介さずに実行されるならば、お風呂のサイズなど関係がなくなる。確かにそれはその通りである。そのことは、攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXの第14話「全自動資本主義 ¥€$」が示している。

しかしもしその自動化の結果を利用したり、確認したり、調整したりという作業が必要であるならば、やはり自分の手はどこかに必要となってくる。その場合はやはり上限が存在することになる。現実的には、こちらのパターンの方が多いだろう。

流れ込む水

「出て行く水」に上限があるとするならば、

流れ込む水 > 出て行く水

において、「流れ込む水」がその上限を上回っているならば、この不等式は永遠に転回しないことになる。

その場合は、「流れ込む水」の量を減らすしかない。つまり、タスク(あるいはやること)を減らす、ということだ。

その一つの在り方が、「断る力」に代表されるようなコミットメントの限定である。役割が「やること」を生む。際限なき役割の増大が、タスクの無限増殖を生む。だから、コミットメント(役割)を限定しておく。切断してしまう。そうすることで、タスクの発生を抑制する。

『7つの習慣』の「関心の輪、影響の輪」や「ミッションステートメント」「重要緊急マトリックス」(アイゼンハワー・マトリックス)も、こうした「役割の無限拡大」を抑制する機能を担っていると考えられるだろう。

7つの習慣-成功には原則があった!
スティーブン・R. コヴィー
キングベアー出版
売り上げランキング: 1,408

しかし、である。

そうはいっても人間は社会的動物である。そこには避けようのない「しがらみ」みたいなものも出てくるし、それを無理矢理拒絶すると日常生活が円滑に回らなくなる問題も出てくる。ある程度は、引き受けなければならないコミットメントはたしかにある。

さらに、である。

人間は生命体であり、生物であり、その生命機構を維持するために必要な活動もある。それを投げ捨てることも可能ではあるが、そのツケは将来の自分が支払うことになるだろう。それをどのように演算するかは、もちろんそれぞれの人次第ではある。

ともかく、「流れ込む水」を減らすことはできるが、やっぱりこちらにも下限がある。おそらく想定しているよりもかなりの量を減らすことはできるだろうが、残るものは大きい。

少なくとも、それをゼロにしてハッピーという安直な結末はやってこない。

結局、「流れ込む水」と「出て行く水」をなんとかバランスさせるくらしか打つ手はない。片方が無限大(あるいはゼロ)になれば、以降は何も考えなくてもよくなるが、それは現実の姿ではない。絶え間ない調整が必要となる。

速度と加速度

さて、物理学には速度と加速度という概念がある。

速度は、単位時間あたりの位置の変化の割合であり、加速度は、その速度の変化である。

これまでは、「流れ込む水」と「出て行く水」の量はそれぞれ静的であると想定していた。一時間あたりにlの量が発生するならば、それは常に変わらない、と。

しかし、仮にそれが加速度を持っているならばどうだろうか。一時間経つごとに、lが増えていくのだ。たとえば、「流れ込む水」管が3つあるとして、その内の一つの水量が時間と共に増えていく。そういう状況である。

こうなると手に負えない。

「出て行く水」を増やすにも限界があるし、他の管の「流れ込む水」を減らせるにも限界がある。ある時点までは調整でなんとかできるだろうが、それを超えるとお手上げである。

もちろん、「水を貯め置ける場所」の容量を増やす、というのでも対応しきれない。これもある程度なら増やせるかもしれないが、際限ない増加に耐えられるものではない。

この話が、「やること過剰社会」の話と関わってくる。

やること過剰社会の弊害は、一人の人間が抱え込むコミットメントの多さ、ではない。そうではなく、それを増やしてしまう心の動きにこそ一番の問題が潜んでいる。

ある時点でコミットメントが多いと判断したならば、それを削減すればいい。しかし、その裏でコミットメントを増加させ続けるプログラムが走っているとしたら? 結局、問題解決には至らない。

単に多いだけならば調整で話が済む。しかし、増加し続けているなら話は別だ。

そして、その心の動きは、ある種の価値観(≒世界をどう捉えるのか)に関わっているので、簡単には変えられない。それが厄介なのだ。

おわりに

このように、状況の改善と言ってもいろいろなレイヤーがある。

多少効率化を行えば自体がバランスすることもあるし、コミットメントを見直せば沈静化することもある。しかし、ときにはもっとメタな視点を変えない限り、状況が変化しないこともある。

だからこそ、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』では、単にTipsを紹介するだけではなく、より広い視野の話をした。人が置かれている状況は、実に様々なのである。

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書)
倉下 忠憲
講談社
売り上げランキング: 2,492

コメントを残す