陳水扁が勝利したのはもういろいろなメディアで報道されている。
選挙の一週間ほどまえまでは、どちらが勝つかというのはほとんど読めない状況だったが、直前の陳水扁氏の襲撃事件で、あっ、これは勝ったな、と思った。
実際にそうなった。
しかも、圧倒的大差ではなく、3万票ほどのわずかな差である。
あの時期あのタイミングで、襲撃が行われ、しかも本人が死亡しなかったら当選しないはずがない。
一瞬自作自演かと思ったほどだ。
が、まあそんなことはしないだろう。
もしかしたら、味方陣営のあずかり知らぬところで行われていたのかもしれない。
が、あんまり深く書くとえらいことになっても困るので、やめておく。
というか、個人的に陳水扁氏が当選したことをうれしく思っているのだ。台湾の人々が自らのアイデンティティーを重要視しているということなのだろう。
たとえば、小泉首相みたいな人間は台湾で総統に選ばれることはないであろう。彼は総理大臣向きな人間(もちろん冗談である)で大統領向きな人間ではない。
日本は台湾のように自国のアイデンティティーをしっかりと確保せよ、と声高に叫びたいわけではない。
それが、少しずつ、だがはっきりと失われ続けていることを認識しておけばいい。
こうやって日本を世界の中の視点から見て見ると本当に特異な国であると思う。
これほど歴史を徹底的に否定している国がほかにあるのだろうか。
戦前の日本、戦中の日本、戦後の日本。
どこかに決定的な過ちがあったのだろうか。
現状抱えている問題を、通過してきた歴史の中に求めて、その責任をうやむやにしているだけではないのだろうか。良いこともあったし、悪いこともあった、それが歴史の正当な認識のやり方ではないのだろうか。
戦争を行った日本も、現状の日本も、同じ「日本」であるという認識が欠落しているような気がする。
教育というものが、そういう方向性に向かっているのかもしれない。
教科書を変えれば済む、という問題でもないと思う。
しっかりした認識を大人が持つこと。それがとりあえずのスタートになるような気がする。私を含めて。
歴史の否定
多分、明治維新って、
それまでの
歴史を否定することの始まりだたのでは
と思います。
江戸時代や、その前の日本人って、
英雄も、それ以外の人々も
とても魅力的ですよね。
ども、こんにちは。
そうですよね、日本にも数々の魅力的な人が存在していました。
いまTVなんかでそういう人たちの特集とかがあると、なぜか現代の日本人と切り離されてしまっているような感じを受けます。
われわれとは違う人種であった、というようなニュファンスがそこかしらかた漂ってきます。
でも、「血」は受け継がれているのですから、われわれはそのことを誇りに思うことが大切なんだと思います。