「タスク」の研究

「やるべきこと」の射程はいくらでも拡がる

「べき」感覚をズラしていく

極論すれば、隣町に流れる川に浮かぶゴミは、拾わないよりも拾った方がいいですし、地球の裏側で食事に困っている子どもたちには、食事を届けないよりは届けた方がいいです。

こんな風に「しないよりは、した方がいい」みたいなことは、結構あります。というか、ほとんど無限に近くあります。

ということは、「やるべきこと」の射程は、理論的にいくらでも拡がっちゃうわけです。

何かの役割を、自分の責務だと認識すれば、つまり「べき」だと考えれば、それらにまつわる行為はすべて「やるべきこと」になります。なにせ、そうした行為は「しないよりは、した方がいい」のです。つまり、積極的に行為を否定する理由はどこにもありません。

そのようにして、「やるべきこと」は増えていき、結果的に、終わらないタスクの歌を歌うことになります。

「しないよりは、した方がいい」ことっていっぱいあるんですが、現実の私に取れる行動は限られています。無限に等しい「しないよりは、した方がいい」を完遂することはとてもできません。

そうなのです。ここが難しいのです。

明らかな悪癖ならば、指針は簡単に立てられます。実行できるかどうかは別にして、「タバコを辞めよう」という決意は、その時点では立派なものとして扱われるでしょう。

でも、「しないよりは、した方がいい」はそうはいきません。なにせ、「しないよりは、した方がいい」のです。それをやめることは、気持ち的には一種の諦めに近く、場合によっては心の痛みすら発生します。

でも、「しないよりは、した方がいい」ことを実際にできること以上に抱えていても、それが達成されることはありません。そして、その達成できない状況が嫌な気持ちを盛り上げてしまいます。嫌悪感を生じさせてしまいます。

たとえば、私は物書きなので本を売るためにやらないよりはやった方がいいことって結構あります。でも、そのすべてを達成することはできません。莫大な時間が要求されるからです。私はそれ以外にも、日常の家事をこなす必要がありますし、こうしてブログも書きたいですし、いろいろな本も読みたいですし、それになにより本を書くことにたくさんの時間を使いたいです。だから、すべては達成できません。

心残りはありながらも、ある程度は諦めるしかすべはないのです。「しないよりは、した方がいい」ことを、やらないという決定が必要になります。

もし、「しないよりは、した方がいい」ことが、実際の自分にできることよりも少しだけはみ出ているならば、そこは効率化や隙間時間の活用といったテクニックで対処できます。それはそれで一つの解決でしょう。

しかし、そのはみ出た量があまりにも多い場合には、効率化ではどうしようもありません。「しないよりは、した方がいい」ことを手放さない限り、やることがあふれ、そのことに嫌気が指す状況が続きます。

結局、どちらの道も楽ではありません。片方は厭気が充満し、もう片方は心の痛みを通過する必要があります。

「できることは、できることだけ」「できないことは、できない」

言葉で言えば簡単です。

「優先順位をつける」

言葉で言えば簡単です。

でも、実際にはそんなに簡単にはいかない、というのが感情を持った人間の反応でしょう。

ときには、この決定をあまりに容易く行えたり、そもそもそうした判断を必要とせず「しないよりは、した方がいい」をはじめから抱え込んでいない人もいますが、すべての人間がそういうわけではないでしょう。というか、「やること」の多さで困り果てている人は、この決定が簡単にできないからこそ、そういう状況になっていると考えた方が自然です。

だから、決意したくらいで簡単に行えるようにはなりません。それはもう、そういうものだからです。

方法はおそらく二つあります。カタカナで言えば、ハードランディングかソフトランディングです。

ハードランディングは、強制的な外部者によって状況を変えてしまう(変わってしまう)ことを意味します。こんまり流などのコンサルタントを横につけたモノの片付けなんかはそれにあたりますし、災害などによって自分の意志とは無関係にいろいろなものが一気に変化してしまうというのもそれにあたります。

ともかく何かしらの外部要因によって、「しないよりは、した方がいい」を削らざるを得ない状況に身をおけば、いやおうなしに認知も変化していくでしょう。
※ただし、うまくいかなかったときのリスクがかなり大きいとは想定できます。

ソフトランディングは、#やるおわ で書いたデルタ状の実践、というやつです。「実際に自分ができること」をスタート地点にし、そこから本当にごくわずかずつ変化していく。これは変化が一気ではないので、その道中は「しないよりは、した方がいい」を抱えた状態が続きます。それに折り合いを付けながら進んでいくしかありません。で、そうして進みながら、「しないよりは、した方がいい」を減らしていく感覚、自分が抱える「べき」の量を調整していく感覚を身につけていきます。認知をズラしていきます。

もちろん、この二つの中間的なものもあるでしょうし、それぞれの極においても強度の違いはあるでしょうが、何にせよそうした認知の変容を遂げないと、なかなか「しないよりは、した方がいい」を削っていくことは難しいのではないかと思います。

少なくとも、思い立ったが吉日的にハッピーに進めるのは無理そうです。

ある事柄に対して、「これは自分のやるべきことだろうか?」と自問をぶつけて答えを得るためには「自分のやるべきことは○○だ」という基準を持っておく必要があります。で、これが曖昧模糊としていたり、漠然と拡がっている場合は、非常に多くのことが「やるべきこと」になります。

だから、明確な「自分のやるべきことは○○だ」という基準を持っておくことが必要なのですが、これは頭だけで答えが出せるものではありません。むしろ、さまざまな実践の結果として、実感的に得られるものではないかと思います。

だからまあ、いろいろやって、考えて、少し変えて、またいろいろやって、みたいなことをジワジワ進めていくのがよさそうです。

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