「タスク」の研究

インクリメントな環境改善と絶え間ない微調整

今週のメルマガで、最近のScrapboxの使い方を紹介した。

Scrapboxで研究生活/序/扱いたい情報/ツール組み

やっていることはシンプルであり、簡単な図を用いて紹介できるのだが、ここに至るまでの道のりは簡単ではなかった。

難しかった、というのではない。複雑だったのだ。

最初はEvernoteとScrapboxの使い分けに悩み、次にScrapoboxにアイデアを貯めていく形に悩み、最後にScrapboxでアイデアを育てていく行為に悩んだ。それはもう、仕方がない。なんといっても未知の概念と格闘していたのだ。

今振り返れば、それぞれの悩みには明確な答えが与えられるし、なぜそれがそうなっているのかの説明もできる。それはもう、あまりにも自明すぎて、なぜそうしないのかわからないくらいである。

が、それは認知の水平線を越えた先の世界の話であって、その意味で、以前の私と今の私はまったく別の存在である、とすら言えてしまう。だからまあ、昔の時点でわからなかったのは仕方がないのだが、重要なのは、そうした理解が一気に得られた、というわけではない、ということだ。

インクリメントな環境改善と、絶え間ない微調整の先にこの場所に辿り着いたのである。

「わかる」に合わせる形で

最初は、EvernoteとScrapboxの両方にアイデアを保存していた。しかも、Scrapboxも公開のプロジェクトと、非公開のプロジェクト両方に保存していた。

これはもうまるっきり面倒なことだし、冗長性も高いのだが、仕方がない。どんな形が機能するのか、私にはわからないからだ。とりあえずは、その面倒な行為を省力化できるコードなどを書き、実践を続けていった。そうすると、変化が生まれる。

自然と続けられるものも、そうでないものが出てくる。
ある形で保存されているものと、別の形で保存されているものの対比がわかる。

そういう理解に応じて、少しずつ実行の形を変えてきた。システムの形を変えてきた。

前に進むこともあれば、少し戻ることもあった。増やすこともあれば、減らすこともあった。インクリメンタルな環境改善と絶え間ない微調整である。

「わからない」ことを認めた上で、いろいろやってみる。
そのうち「わかる」ことが出てくる。
その「わかる」に合わせてシステムを変えていく。

そう、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』で紹介している「デルタ状の実践」である。

小さく刻む

この「デルタ状の実践」は、タスク管理システムを導入する方法という文脈で紹介してあるが、「タスク管理もやることである」という理解を逆向きに援用すれば、その他の領域にも十分通用する話になる。

ポイントは、「少しずつ」という点だ。インクリメント、微調整、Δ。

一気にどかんと、ということはしない。それはリスキーだ。

第一に、大きく変えると、何がうまく機能していて、何がうまく機能していないのかがわかりにくい。第二に、心理的に大きな塊は変えにくいので、微調整がしづらい。第三に、微調整だと、いつでも前のバージョンに戻れるGit的安心感がある。

もちろん、一気のどかん型の方法が合う人もいるだろうが、個人的にはこちらの進め方を推奨したい。ウサギではなく、カメ型のアプローチだ。

また、微調整を心がけていると、不満の捉え方も細かくなってくる。「この部分の、この使い勝手を直そう」みたいな感じである。逆に、不満の捉え方が大きいと、一か八か的な賭しかできず、しかもそういう決断すら重くなってくる。そして放置されてしまう。

何もかもを、すべてに一気に、うまくいくように、変えてしまう、というのはやっぱり多くを望みすぎであろう。もちろん、その多望を抱えるのが人間心理の「いつものこと」なので、あまり気にする必要はないが、そのことを理解して、防波堤を作っておくこともまた人類の英知であろう。

だからまあ、ちょこちょこ変えていくのが良い気がする。

やりながらわかっていく

もう一つ、大切なポイントが、「わかってからやる」という姿勢ではない、ということだ。「やりながらわかっていく」という姿勢の方が好ましい。

現実的にいって、「わかってからやる」ではほとんど何もできない。ゴルフのスイングを完璧に理解してからクラブを握りましょう、という条件だったら、誰もそれをスタートできないだろう。動作・行動を伴うものは、だいたい同じである。

しかし、実際、人は行動する。「わかったつもり」で行動する。ゴルフのスイングの説明を聞いて、「わかったつもり」になってやってみる。もちろん、うまくいかない。でも、それでいいのだ。むしろ、そうでなければならない。そういうスイングを何度も繰り返し、微調整して、ようやくまともに振れるようになってくる。

比較対象を「完璧なスイング」にすれば、その「わかったつもりのスイング」は大失敗であろう。でも、それを失敗と呼ぶ人はいない。「練習」と人は呼ぶ。そして、それがなければ、うまくなることはありえない。

しかし、タスク管理のようなものでは、すべてが実践に結びついていて、練習という感覚はあまり生まれない。Sandboxはどこにも見当たらない。「わかったつもり」の行動が、失敗と認識されてしまう。

もし何かと比較したいなら、「完璧な何か」とではなく、「わかってからやる」姿勢で何も行動できていない自分と比較した方がいいだろう。その視点を取る限り、それは失敗ではない。練習の一部となる。

さいごに

インクリメントな環境改善と絶え間ない微調整は、単に進め方だけの問題ではない。行為の捉え方や、それをどう評価するか、ということにも関わってくる。

「わからない」ことを認めた上で、いろいろやってみる。
そのうち「わかる」ことが出てくる。
その「わかる」に合わせてシステムを変えていく。

もちろん、こういう進め方自体もまた、「やりながらわかっていく」姿勢が重要なのは言うまでもない。

▼デルタ状の実践については

「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 (星海社新書)
倉下 忠憲
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1件のコメント

  1. 分野は異なるが、その考え方は、
    Mike Gancarz著「UNIXという考え方―その設計思想と哲学」に通じるものがあります。
     https://gist.github.com/su-kun1899/e6cea8e1fc7e9383e6524dece5e44c04

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