自分の実験とゲーム

『仕事は楽しいかね?』を思い出しました。この本には、「実験感覚」に関する言葉がいっぱい詰まっています。

仕事は楽しいかね? (きこ書房)
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試してみることに失敗はない

明日は今日と違う自分になる、だよ。

これは僕の大好きな言葉の一つなんだ。「遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守る」というのがね。

目標に関するきみの問題は、世の中は、きみの目標が達成されるまで、じーっと待っていたりしないということだよ。

きみたちの事業は、試してみた結果失敗に終わったんじゃない。試すこと自体が欠落してたんだ。

あの実験で学ぶべきことはね、「あらゆるものを変えて、さらにもう一度変えること」なんだよ。

たぶん、大切なことは二つあります。一つは、動的である、ということ。つまり、変え続けるということ。もう一つが、遊び、ということ。つまり、短期的・直接的な利益を求めず、また、結果を「制御」しようとしない、ということ。

総じて言えば、あらかじめ用意した結論に固執せず、「何が起こるかわからないけど、ちょっとやってみるか」という気持ちで取り組むこと。

これは、イデア性の破壊だとも言えます。イデアは完璧であり、そうであるがゆえに静的です。そこに至りさえすれば一切思い煩うことなく、なんの調整もいらず、ただただその状態が維持される。そういう楽園です。

その楽園を(ないしは幻想を)ぶっつぶす、というのが実験的思考です。

でもって、『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』で書いた、

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自分について実験している感覚で、小さな改良と共にじわじわ進んでいく。

というのも、これらとまったく同じです。

自分が、あらゆることを確実に知っている(≒自分が知っていることは絶対確実である)という場所から抜けだし、「何が起こるかわからないけど、ちょっとやってみるか」という気持ちで、いろいろ試していくこと。微調整していくこと。

このアプローチに立てば、上のツイートにもあるように、「失敗」というものがなくなります。もちろん、結果として望んでいる状態になれないことはたくさんあるでしょうが、それはそういう事実が一つわかった、という発見になります。手にしたものはゼロではないのです。先日書いた「練習」の感覚と同じです。

そして、これは単に方法論の話だけではありません。

評価軸の移動

「自分の方法」を見つける、ということは、すでに存在しているある方法とは別の方法に至るということであり、それはその既存の方法が機能している評価軸とは別の領域に移る、ということです。

たとえば、このブログはPV数で評価すれば、ヤムチャさんよりも弱いくらいですが、それでもR-styleは誰かには読んでもらえるブログになっています。「私の方法」によって運営されていて、何かしらの結果を手にしているのです。PV数とは違う評価軸のゲームをしている、という言い方もできるでしょう。

『アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール』という本では、完全なスケジューリングというのはありえず、何を求めるか(どんな結果に最上の価値を置くのか)によって最適が変わってくるというお話が紹介されていますが、それは言い換えれば、どんなゲームをプレイするかによって適切な戦略は変わってくるということです。

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で、「何を求めるのか」というのは、一般的にコンテキストとして処理される(つまり、普段それを意識することはない)ので、「方法」の効果がズレルということが結構あります。

一番困るのは、「方法」を摂取することで、無自覚にコンテキストも取り込んでしまい、もともとあったコンテキストとの混乱が生じてどうしていいのかわからなくなることです。コンテキストそのものは、普段意識されないので、これはけっこう厄介な問題です。

だからまあ、少しずつやって微調整、というのが良さそうです。

さいごに

別の見方をすると、静的な方法が完璧に通用するのは、絶対に状況が変わらないゲームをするときだけ、ということです。たとえば、資格試験の筆記テストみたいなものは、そういうやり方がかなりの部分通用します。

でも、人生全体はなかなかそうはいきません。自分も変わってしまうし、状況も変わってしまいます。だから、「やり方」を変えていく力は結構大切です。

逆に、状況を絶対に変わらないように固定して、一つの方法の効用率を高める、というアプローチもあるでしょう。これはこれで一つの方法だと思います。「私」の可能性を極めて狭めておけば、「新しい方法」はとりあえずは必要とされないでしょう。もちろん、「状況」の方の固定はなかなか難しいので、絶対にいけるとまでは保証できませんが。

だからまあ、なんというのでしょうか。自分がプレイしているゲームに敏感になりましょう、というような感じです。自分の実験をする、というのはそういうことと背中合わせでもあります。

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