「タスク」の研究

「ああ、時間が足りない」と焦るときに

時間が足りないときは、

  • すばやく動く
  • 効率化する
  • 一部諦める
  • 時間を借りてくる

あたりが対策となります。状況をみて、適宜対応すればいいでしょう。

問題は、状況を冷静に見られないときです。言い換えれば、時間が足りない状況のときに、その状況に対して焦りを感じているときです。「ああ、時間が足りない」、と。嘆きや苦しみばかりが満ちているときです。

その心の裏側には、「自分はもっとたくさんのことをなさなければならないのだ」という気持ちがあるのかもしれません。

なにがそのトリガーを引いているのかは不明です。名誉欲なのか自己肯定感の不足なのか何かが強化されてしまったのか、理由はいろいろあるでしょうし、複合的ですらあるかもしれません。

が、原因がどうあれ、そのような状態では、これまでより一つ多くのことをなしてもやっぱり不足感はでてきます。「もっと」という欲求には終わりがないのです。

  • 人間がすばやく動けるにも限界がありますし、
  • いくら効率化を進めても0秒にはなりません。
  • でもって、借りてこれる時間にも限界があります。人は眠らなければいけません。

だから、そこで取れる択は、唯一「一部諦める」ことだけです。これ以外に対処はありません。しかし、当人は、「自分はもっとたくさんのことをなさなければならないのだ」と思っているのですから、一番選ばれる可能性が低いのが「一部諦める」でしょう。一番必要なものが、一番選ばれにくい。これがある種の「やること地獄」です。

もちろん、その選択が選ばれていないから、そういう状況になっているんだとも言えるわけですが、これは循環構造なので起点を探すことに意味はありません。ともかく、扉から出るための鍵は、自分の背中にあるのです。

言い換えれば、「自分」という枠組みだけでは、なかなかその選択に至れません。だから、自分以外の手が必要です。

それは一つには「記録」です。記録は自分が残したものでありながら、そこには他者性があります。「あれ、思っていたよりも、自由時間すくないな」とか「結構やんちゃに時間使っているな」ということがわかります。その認識で、クリアできる場合もありますし、そこからさらなる知覚を必要とする場合もありますが、これはわりと意識的に手にできる他者性です。

もう一つには、「偶然」があります。たまたま普段使っているツールがうまく動かない。たまたま毎週読んでいるコンテンツが読めない。たまたま普段とは付き合わない人と話すことになった。そういうとき、「自分」の当たり前がゆらぎます。否応なしに他者性が入り込んできます。それが、知覚をかえることがあります。

とは言え、これは「偶然」なので、これを意識的にコントロールはできません。ただ、到来した偶然とどう向き合うか、というだけが可能な選択です。もし可能ならば、そういう偶然を一種の好機と捉えて飛び込んでみる。そういうやり方も心に留めておくとよいでしょう。

逆に言えば、「記録」を持たず、「偶然」を徹底的に拒絶して生きれば、そこには「自分」で満ちた世界ができあがります。その自分が、地獄の発生源になったら、これはもう逃れようがありません。単一で満たされた世界は、エラーが出たときたいへんなのです。

だからまあ、少し手放すことです。過剰な主体性は、むしろ有害だと認識することです。主体性をよしとするこの世界では、なかなか難しいかもしれませんが。

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