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情報過多とその背景

コンビニの本棚に並べられている週刊誌を見ると、ふと疑問に思う。一体誰がこんなの読むのだろう、と。

とくに、レイアウトデザインをほぼ一切無視して、多少誇張気味の見出しを画面せましと並べてあるような週刊誌。

ああいうのは、多少好意的に見ても、笑えるくらいだし、そうでなければ下品と行ってもいいと思う。

しかも、その種類が多い。週刊誌に限らず、パチンコ・ファッション・TV番組・車・風俗系・・・と、ありとあらゆる雑誌が本当にいろいろな種類出ている。

こんなの一種類で十分じゃん、と思うことは多々ある。

TV番組でもそうだ。一体こんなの誰が喜んで見るんだ、と思うような番組がたくさんある。アイデアそのものが面白くないものもあるし、あきらかにやらせな番組も少なくない。

こういう状況は明らかに情報過多である。発信する側の数が多い。そしてその質があまり問われていない。自分がその状況の中にいるときは気にならないが、一歩身を引いて見てみると、ちょっとあきれてしまうような状況が溢れていると思う。

自分の周りを見渡しても、明らかになくても困らないようなものはたくさんある。それは情報だけに限らず物でもそうだ。
そういうものの存在は、一面では「豊かさ」という風に捉えられなくもない。物質的、経済的豊かさだ。
しかしながら、良く目を凝らして見ると、本質的な豊かさがまったくないようなものもたくさんある。

しかしながら、声高にこういう「浪費」はいけないからさっさとやめなさいといえるわけではない。少なからずこの「浪費」が、日本の消費社会を支えていることは間違いない。もし、日本人がいっせいに節約生活を始めてしまったら、コンビニなんてあっという間につぶれてしまうに違いない。

じゃあ、それで仕方ないじゃないかと割り切れるかというと、う~んという感じである。
ちょっといきすぎじゃないか、という感じもしてくる。

意図的に情報の洪水の中でおぼれることで、本質的なものから逃げている、そんな感じをうけるのだ。
まあ、他人のことだから、おせっかいになるんでしょうね、きっと。

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