嬉しい感想を頂きました。
本とは何かとか本について考える人の話を聞いて考える本:かーそる 2019年5月号: tadachi-net 出張所
同じく音楽で例えると,執筆陣が全員違う楽器,違う楽譜を奏でている感じ.ある人は小鳥の囀りのような心地よい『ぴぃー』だし,ある人は体を揺さぶるような骨太な『ぶぉー』って感じの音色.なので一つ一つの話は全く違った印象を受けるし,読んでいて得られるものも異なる.でも指揮者が振る指揮棒によって,『本』というお題で終始一貫したメロディが出来,そして各話が重なることで絶妙なハーモニーを奏でていることが分かります.全体を通してみると,『あっ,オーケストラの演奏だった』という感じなんです.
まさに編集しながら、同じようなことを感じていました。編集長としての私の仕事は、いかにそのハーモニーを妨げないようにするかだったと言えるかもしれません。
で、まあ、基本的にはバラバラなスタンスで書かれているわけですけれども、何かは共通しています。その何かは「こうです」と指し示せるものではないけれども、たしかにそれはある。そういう部分を感じていただければとても嬉しいです。
というのも、「読書っていろいろあるよね」といっても、それは「なんでもあり」ではないからです。人と人の付き合い方はいろいろあるにしても、騙したり暴力で脅しつけたりするのを「付き合い」とは呼びませんよね、というのと同じ意味で。
で、その部分で通底しているならば、この本を読む人だって、楽団の一員です。少なくとも、私はそう思います。
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たぶん、本雑誌は、「びっしり締まっている」か「ゆるい」かで言えば、そりゃもうゆるいと思います。しかるべき結論に向けて話を組み立てていく要素はほとんどありません。話題があっちいったりこっちいったりします。でも、だからこそ、本書を読むと「何か言いたい気持ち」が湧き上がってくる、ということはあるのかもしれません。
もちろん、それが何なのかは不明です。自分なりの読書論なのか、補足なのか、それともアンチテーゼなのかは、まったくわかりません。それは、かーそる執筆陣が私が投げたテーマにどんな切り返しをしてくるのかまったくわからない、というのと同じです。
ゆるいからこそ、多様だからこそ、「自分の声」をそこに混ぜ込みたくなる。
そういう「効能」が本誌にあったとしたら、編集長としての私はたいへん満足です。
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壁を作り、権威化して、「これは私たちの領域だ。そのおこぼれを君たちに授けよう」というやり方を私はあまり好みません。梅棹忠夫が「知的生産」を市民の社会参画と見たように、情報発信のありようは市民に開かれていてナンボです。
で、以前にも書きましたが、「かーそる」的なものがどんどん増えていく、というのが私の望む一つの未来の形です。
たしかにブログとSNSによって、個人の情報発信の敷居はずいぶんと下がりました。でも、あるテーマに応じて人が集まる情報発信はまだまだこれからの段階です。
で、人が集まることで生まれる「場」が生成するものってたしかにあるのです。個の総和を超えるものが、そこには生まれます。オーケストラって、そういうものです。
場があるからこそ生まれる文章があり、場があるからこそつながるリンクがある。
そんなことを考えながら、かーそるに参加しています。
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