3-叛逆の仕事術

仕事ごっこという言葉がもたらす契機

最近、「仕事ごっこ」という言葉をタイムラインで見かけるようになった。ハッシュタグつきでよくツイートされている。

明らかな非効率性、あるいは意味のない作業について、そのハッシュタグがつけられている。本質的な仕事ではない、仕事の体で行われている作業。おそらくはそういう意味合いだろう。コンピュータを使える人が、紙の作業に向ける視線と似た温度感を感じる。

基本的には、賛同する声が多いようで、仕事ごっこを擁護する声はあまり見かけない。現代で非効率さは、第一義に嫌われるものなのだろう。

もちろん、私自身も似たような経験はある。コンビニ時代の話だ。私は毎日の売上げをスタッフに共有できるように、売上げ金額以外の数字も加えて表組みを作っていた。客数や廃棄の金額も、営業を考える上では重要であるし、それをスタッフ全員に共有しておくことには意味があると思った。

一方で、本部に送付しなければならない書類もあった。一ヶ月分の売上げ金額を網羅した表組みだ。今ならネットでOKという気もするが、その時代はなぜかプリントアウトしたものを提出していた。私がスタッフ用に作っている表組みは、本部に提出しなければならない数字を含みつつ+αのデータが入っていた。しかし、その表組みは「形式に合わないから」という理由で提出を拒否された。仕方なく私は、「下位互換」の表組みを、ただ提出用に作っていた。これって何か意味あるの? という疑問はもちろんあった。

しかしながら、他のお店が皆共通のフォーマットで提出しているのに、一店舗だけ違うとなれば処理のコストは高まるだろうな、と予想したし、求められていること以上の仕事をしているのは単に私の判断なので、それ以上つっこむことはしなかった。おそらく、似た判断をしている人も多いのではないだろうか。

非効率な作業がなくなればいいとは思いつつも、それを変えるのは簡単ではないだろうという感触もある。たいていそれは、誰かの意見ではなく、「空気」としてその作業の必要性が要請されているからだ。言い換えれば、それは構造的な問題であり、その構造にメスを入れなければ解決できない。

当たり前だが、非効率な作業は「よし、無駄な仕事をどんどん増やすぞ!」という誰かの悪意でスタートしているわけではない。最初は価値のあった仕事も、時代が移り変わるにつれ、価値が減少していった。にも関わらず、それが続いている。一種のカーゴカルト的構造である。

だからおそらく、その作業が無駄であると指摘した人も過去にはいただろう。しかし、何かしらの理由によって改善案は却下された、あるいは封殺されてきた。真なる問題はそこであろう。

必要なことは、「仕事ごっこ」と思える作業や、その作業に従事している人を攻撃し、痛めつけることではないだろう。「仕事とは何か?」という定義を、現状に合わせて再構築していくことが、解決にとって一番必要なメスではないか。「明日もう一度ここに来てください。本物の仕事というものをお見せしますよ」的に、相手に「真実」を教えてあげる態度ではなく──そのような態度は必ず反発を引き起こす──、私たち(we)はどんな価値を提供する必要があるのか、そのために必要な業務は何で、必要でない業務は何かを、全体として(つまり、主語を私たちとして)議論していくことであろう。

そのような議論・検討サイクルが導入されないままに、一部分だけ「無意味な作業」を新しい作業に置き換えたとしても、結局第二、第三の「仕事ごっこ」は生まれてしまうだろう。

もう一度言うが、これは構造的な問題である。非効率な作業が行われていることそのものではなく、それが放置されている状態こそが問題なのだ。それは、誰かの悪意によって発生しているわけではないのだから、個人の問題に還元するのは間違ったアプローチである。誰かに対して悪意が燃えるならば、その道は進まない方がいい。誰かを攻撃し、何かを撲滅したくなる気持ちからは、主語を「私たち」にした議論は生まれてこない。

基本的な話だが、仕事というのは、価値を創造することである。営業には営業の、総務には総務の価値の創造の仕方がある。それらが重なり合って、一つの組織が維持されている。顧客に価値を与え、自分たちも価値を得、そして社会に価値を還元する、というのがいわゆる三方よしだし、ドラッカーの見立てでも、基本的には同じ構図になろう。だから、欺瞞的なビジネスは、社会的に却下されるのだ。お金は動いているが、価値を生み出していないという点において。

同じように、企業が価値を創造できていないなら、何がそれを阻害し、次にどんな手があり、どうすればそれを実行できるのかを考えなければいけない。つまりこれは、単に効率性の問題ではないのである。企業のビジネスの根幹に関わることなのだ。

ある程度実績があり、過去からの蓄積がある企業は、価値を創造できていなくても、いくらかは利益を生むことができるだろう。しかし、時間が経てば、いつかは泉は枯れてしまう。そのときに必要なのは、新たな価値を定義し、創出していける能力である。

よって、長期的に非効率な作業が放置されている企業は、基本的には危険サインなのだ。時間の差はあれ、そのままではいつか沈没してしまう。その点に関する危機感こそが、もっとも大切であろう。

だからこそ、仲間割れをしている場合ではない。対立を煽っている場合ではない。「私たちは本当の仕事を知っていて、あなたたちは知らない」という態度で臨むべきではない。

そう考えると「仕事ごっこ」という言葉は、やや挑発的ではあるものの、良い契機をもたらす言葉でもあろう。「じゃあ、ごっこじゃない仕事って何なんですか?」という議論をスタートする契機の。

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