「タスク」の研究

汎用ノートツールとタスク管理専用ツール

前回の結びで、別の観点から検討したいと述べた。

最初は別の話題を準備していたのだが、たまたまタイムラインで見かけた以下の記事が目に止まった。

様々なTODOアプリやタスク管理方法を試行した結果最終的にプレーンテキストに行き着いた話 – みんからきりまで

まずは、ここから考えていきたい。

リストさえ作れれば

上記の記事は、いろいろなタスク管理アプリを渡り歩いたが、結局プレーンテキスト(+マークダウン)の形に落ち着いた、という話である。記事内では、プレーンテキストの魅力がいろいろ語られているが、同種のことはいくつかのタスク管理アプリなら(多少操作の違いはあれ)実現は可能であろう。が、そうであっても、私は記事の内容に共感を覚える。というか、言いたいことがよくわかる。

なんといっても、私もScrapboxでタスクを管理している。Scrapboxは、純粋なプレーンテキストとは言い難いし、マークダウンも使えないが、それでも別段問題はない。

そもそも、記事にあるような管理のスタイルは、ノートとペンであっても(多少操作の違いはあれ)実現可能なのである。もっと言えば、現代においてもそのような管理手法で仕事を回している人はいる。だから、別段プレーンテキストで困ることはないはずなのだ。少なくとも、最低限の実装はそれで可能だと考える。

生産性を高めるプレーンテキストファイルの使い方10 | ライフハッカー[日本版]

なにもかもシンプルに。私がいまだにプレーンテキストを愛用している理由 | ライフハッカー[日本版]

タスク管理メソッド todo.txt が面白そう – Qiita

極論すれば、(広い意味においての)リストが作れれば、タスク管理の根幹は成立する。つまり、備忘録として機能し、その情報を操作できるあらゆるツールにおいて、タスク管理は成立してしまう。

では、一般的なテキストエディタや類似のツール(まとめて汎用ノートツールと呼ぼう)と、タスク管理アプリとの違いは何だろうか。

汎用と専用

少し引いた視点から捉えれば、その違いはまさに汎用と専用という言葉で表現できる。

タスク管理アプリは、誰かが開発したものであり、その開発者のタスク管理哲学が色濃く反映されている。規定されるデータの型(≒タスクのメタ情報)も、タスクへの操作も、タスク管理とはかくあるものだ、という認識の上に組み立てられ、それに沿った管理がやりやすいように調整されている。対して、汎用ノートツールにはそのようなものが一切ない。

よって、ある種の操作をするときには専用ツールの方がはるかに簡単に行えるのだが、その反面規定されていない操作をするときにはひどく面倒になったり、そもそもそうした操作が不可能なことすらある。また、逆に、まったくやりたくない操作・必要ない操作を要求されることもある。これは、日常の行動を管理するツールとしてはひどく致命的に感じられる。ある種の面倒さがどうしても立ち上がってしまうからだ。

もちろんこれにはメリットもある。

そのような面倒さは、「型」としても機能するのだ。たとえば、入力したタスクすべてに締め切りを設定しなければいけない専用ツールがあるとして(ひどく面倒そうなツールである)、そのツールを使っていれば「そうか、タスクには締切日を設定すればいいものもあるな」と気がつくことができる。

何かを学ぶときに、真似することが有用なように、専用ツールが持つタスク管理哲学に触れることで、自らのそれを磨き上げていくことは可能だろう。

データとの距離感

では、引いた視点ではなく、むしろ突っ込んだ視点からならどうだろうか。この二つのツールは、データとの距離感に違いがある。

汎用ノートツールを使ったタスク管理では、そのデータはすべてユーザーが管理している。どのファイルに何を保存しているのかはユーザーが決めるし、ユーザーが把握している。特定のものだけを削除したり、別の場所からコピーしてきたり、新しい要素を追加することも自由自在である。

しかし、専用ツールでは、そうはいかない。もちろん、データはユーザーのもとにあるが、それは自由には弄れない。必ずタスク管理ツールへの入力を通す必要がある。そして、それらのデータが、どこにどんな形で保存されているかはユーザーにはブラックボックスである。
※言い換えれば、ユーザーはデータに直にアクセスしているわけではない。

簡単に言えば、データの中身が「遠い」のだ。特定のタスクのメタ情報をほんの少し弄るためだけに、めちゃくちゃ面倒な操作が必要になるときがある。あるいは、ある情報を変更したいのに、どれを触っていいのかわからないことがある。

汎用ノートツールは、表示や操作上の利便性がない代わりに、上記のような操作不能も起こらない。単にテキストが並んでいるだけだからだ。

もちろん、こう感じるのは、ある程度テキストファイルというものに馴染みがある人間だけだろう、という予感はある。もしかしたら、ツール経由で操作した方が「やりやすい」という人もいるかもしれない。それでも、ただそこにあるデータを自分でいじっているだけの方が、データとの距離感は近しいだろうという予想は立つ。

さいごに

私は別に専用ツール不要論を打ち立てたいわけではない。それが使いやすいなら、どんなツールを使ってもいいだろう。しかし、根本的な備忘録+αの管理だけならば、シンプルなツールでも十分成立する、という点は確認しておきたい。

その上で、このタスク管理という行為の根源にあるものは一体何なのかを探っていきたいのである。

次回はもう一度観点を変えて、この話を検討してみたい。

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