1-情報ツール考察

情報カードを使って考える

それはそれそとして、それはそれとしてカードを使うのが好きだ。

カードを使っているときは、他のツールを使っているときと微妙に異なる心理的モードが立ち上がってくる。

広く言えば、これは断片の操作をしているのであり、アウトライナーを使っているのと大差ないはずであるが、やはり同じではないのだ。

一つ言えば、カードは平面(あるいは立体)配置が可能という点はあるだろう。アウトライナーは階層はあれリニアにしか(つまり線形上にしか)要素を並べられないが、カードであれば、縦横の平面空間にそれを配置することが可能だ。なんなら、そうした上でさらに上に重ねることで重要な意味空間を構築できる。

しかし、それだけならばデジタルの付箋ツールでも似たような感覚が得られるはずだが、私の実感としてはやはり異なる。では、何がその差異をもたらすのか。

もう一つ考えられるのは、入力である。もう少し言えば、入力字のインターフェースである。

カードに書き込む際、その瞬間はまったく真っさらなキャンバスが立ち上がる。そこへの入力は、あらゆる文脈から解放されている。言い換えれば、私は「そのこと」だけを考えていればよい。文脈的位置づけはその後に考えることである。

しかし、一方で完全に孤立しているわけではない。目を向ければ、それまで書いてきたいくつかのカードを目にすることができる。しかし、その数は絶対に有限である。視野に収まるだけの、限られた、それでいて十分に思考に刺激を与えうるだけの数。思考のダンパー数。その内側に留まっている。

しかも、望むなら、その要素を操作することもできる。

たとえば、トップ項目となりそうなカードをいくつか並べてもいいし、関連して考えたい(≒掘り下げたい)カードを並べてもいい。あるいは、直近書いたカードだけを近くに置いておく手もある。そのあたりを個人の好みに(あるいはそのときの気分に)合わせてカスタマイズしていける。しかも、結構簡単にそれが行える。その感覚が非常に心地よい

無理矢理アウトライナーで表現すれば、入力するためのフィールドが固定表示されており、そこに入力した後、置き場所を決めるという動作が近いかもしれない。場所を決定しなければ、自動的に最後に追加された項目の後ろに配置される。そんな動作である。そういうツールがあったなら、なかなか楽しそうだ。

とは言え、上記のようなことをいつもやっているわけではないし、またアウトライナーが使えていないというわけでもない。ある目的──今回であれば書籍のアイデア出し&構成作り──においては、こういうやり方を用いることがある、ということだ。しかも、これはかなり初期の構造を固めるために行うので、本文を執筆し始めたらカードなどどこ吹く風である。

それでも、一つの「本」を作り上げるという行為には、複数の知的プロセスが入り込む以上、それを支えるためのツールも複数の知的作業に耐えうるものであった方がいいだろう。もちろん、一つのツールがその全般に対応できなくても構わない(むしろその方がいい)。いくつかのツールが使えればいいのだ。なにせ、この世界にはツールが満ち溢れているのだから。

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