1-情報ツール考察

発想技法における情報整理の二つの観点

ウォーミングアップとしてのギャラリー

アウトライナー

マインドマップ

マンダラート
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三極発想法
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本題

アウトライナーとマインドマップには、最上位の概念がある。二つの見た目は異なるが、共にツリー構造を為している点は同じだ。

マンダラートと三極発想法には、中心がある。これをツリー構造に変換することはできない(やってしまうと、まったく別の情報構造に変化してしまう)。

一見、この差異は小さく思える。たとえば、マインドマップとマンダラートは大差ないように思える。マンダラートは9マスしかないが、それでもどこかのマスを中心とした新しいマンダラートを立ち上げることで、いくらでも広げていける。3×3マスのマンダラートを、さらに3×3で配置すれば、70を超える要素が扱える。もちろんそれをいくらでも再帰していける。広がりは無限だ。

となれば、だいたい同じでは? と考えたくなるのも無理はない。そして、たとえば本の章立てを考える際には、どちらも有効に活躍してくれる。しかし、この二つは厳密には異なる情報構造を扱う(ないしは表現する)ものである。どのように違うのか。

簡単に言えば、循環である。

そのことは三極発想法を見れば明らかであろう。三極発想法では、中心から伸びた極の三点が──中間となる要素を経由しながら──循環している。AからB、BからC、そして、CからAと。

同じことはマンダラートにも言える。外周に配置された8つの要素は、(見た目上)つながっている。それらが論理的・ストーリー的に接続していなくても、そこには一周回ってくる流れが想定できる。

アウトライナーははっきりツリー構造を扱うし、そこでは要素は枝であり、葉である。それぞれの要素はある種の終着点を意味する。最後の項目が、ぐるりと回って最初に返ってくる、ということは見た目上表現されない。

マインドマップでは、その配置は平面空間(タテ・ヨコ)を使って行われるので、中心を持つ二つの技法表現に似ているが、実際はタテに伸びたツリーを平面に押しつぶしただけである。やはりここでも、個々の要素は枝であり、葉であり、ある種の終着点を示している。循環はない。あるいは、循環を表すためには、何か特殊な表現が必要とされる。少なくともそれはデフォルトではない。

さいごに

あらかじめお断りしておくが、何も中心を持つ技法が最上位構造を持つ技法よりも優れている、という話をしたいわけではない。単に、そこで扱われる情報構造に違いがある、という点を強調したいだけだ。でもって、その強調は、普段私たちが、ツリー・フォルダ構造に慣れているが故に、そうでない側にフォーカスを当てることで行われる必要がある。それだけの話だ。

最終的な成果物(アウトプット)が、ツリー構造に配置されたドキュメントを必要とする場合、その構想を練るのはツリー構造を扱える情報整理技法が良いだろう。それこそアウトライナーやマインドマップは最適な技法である。

一方で、自分の頭の中にある情報構造をそのまま捉える場合はどうだろうか。そのようなもの中には循環構造になっているものがあるかもしれない。それを適切に表現できる技法でないと、そこには変換が生じてしまう。それは認知的に負荷になるし、またそぎ落とされる情報も増える。だったら、はじめから循環構造を扱える技法を用いた方が良いだろう。

私たちの思考は、「箱」に影響される。どんな容器にそれを流し込むかで、思考の形は(というよりも、思考の表れは)決定されてしまう。だからこそ、箱の選定には注意を払う必要がある。

ツールは使いようだ。最強の思考がないの同じで、最強のツールなど、どこにもない。

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▼編集後記:

この二つの違いは、西洋的思想(唯一神)と東洋的思想(万有神)の違いに対応させることができるだろうか。できるとしたら、たとえば中東的思想はどのように位置づけられるだろうか。

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