BlogArts

note本の発売、そして「何のためにブログ書いてますか?」という問い

コンテンツ・プラットフォーム・サービスnoteの本が発売され、イベントも行われたようだ。

「noteではじめる新しいアウトプットの教室」でクリエイティブの自己肯定感を高めよう | Lifehacking.jp

「noteではじめる新しいアウトプットの教室 楽しく続けるクリエイター生活」出版記念イベント@ピースオブケイク(2019.8.26) #note本 – Togetter

私はイベントに参加したわけではないが、本は発売日0:00にKindle版を買って読了した。今この時代でnoteが語られるとは、どういうことかが気になっていたからだ。

本の中身については、Honkureでも書いておいた。「はじめること」「続ける」ことの価値とそのノウハウが語られていたように思う。大切なことだ。

しかし、それがなぜ大切なのかを語るのは簡単ではない。

「noteではじめる 新しいアウトプットの教室」出版記念イベントの話をしようとしたら、グレンラガンの檄の話になったけど気にせずに公開するよ #Note本

で、まずは参加してとにかくよかった。というのも、清く正しく前のめりな人たちが参加しているイベントいうのはいいものであるということだからです。

仲間を作って欲しい|コグレマサト|note

ブログ黎明期にはたくさんのブロガーイベント、飲み会が開催されてたくさんの出会いがありました。何かが好きすぎるという下心のない出会いというのは、本当に長く続いていきます。「仲間」は10年、20年と「仲間」でいられます。

引用した部分に共通する何かを感じないだろうか。さらにもう一つツイートを追加しておく。

やはり、共通する何かを感じないだろうか。「清く正しく前のめりな人たち」「何かが好きすぎるという下心のない出会い」「旨味が吸えるかがモチベーションではない」

表現は異なるが、言いたいことは非常に近しい。あえて私の言葉で言わせてもらえば、「遊ぶ」ということだ。堀さんが前に使われていた言葉であれば「大人の自由研究」になるだろうか。表現自体は何でもいい。ここにあるのは、それ自体が目的となりうるような、そんな行為である。

もちろん、他者への眼差しはある。自分勝手に何もかもを押し進めているわけではない。ただ、最初にあるのは自分が楽しむこと。あるいは、それと通じて他人を楽しませることを自分が楽しむこと。そういう構図である。

そういう行為を続けていくと、変化が起きる。「必ず起きる」などとは言わない。バットを振っていれば、ボールにあたるかもしれない、くらいの話だ。でも、振っていないバットにはボールはあたらない。まずは振ること。振り続けることが必要になってくる。

しかし、ここで逆転が生じてしまう。ボールに当てるために、バットを振り始めるのだ。そうなると、バット振りは目的のための手段となり、必死に頑張って行うものとなってしまう。それは「遊び」ではない。

だから、その良さを伝えようととすればするほど、それは手段として理解され、齟齬が生じる。そういう構造がある。だからこそこの話、つまりブログやそれに類する表現活動に関する話は、何度も巡ってくる。何周もしてしまう。それは、常にすれ違いながら行われる情報交換だからだ。

あるいは、逆にも言えよう。私たちは何度すれ違おうとも、それこそ「オワコン」認定されようとも、この種の行為を続け、また興味を持つことからは逃れられない。そこには確実に、現代社会において有用な、いや、いっそ必要な何かが眠っているからだ。

上で引いた三人のブログについて、昔以下のように書いたことがある。

ブログと、その芸 – R-style

ネタフルは、「言わない力」が強いブログだと感じる。逆に、Lifehacking.jpは「言う力」が強いブログだ。対して、みたいもんは、「言わないで匂わせる力」があちらこちらに漂っている。

この見立てはいまでも通用すると思う。三人のテイストはいまだに変わっていない。しかし、その「変わってなさ」ではなく、そこまで異質な三人がその場にいる(≒仲間である)ということの方にあらためて着目したい。

上の記事を書いたのは2015年でそのときはたいした違和感を覚えなかった。しかし、現状のネットで人を集めるサロンのようなものにある同質性の高さと比較して見ると、これは非常な違和感となる。何しろ三人は、まったくスタイルが異なるのだ。そういう人たちが、同じ場に集う。そのことの意味は、2019年において改めて確認されるべきだろう。

おそらく歴戦のブロガーに質問したところで、「何のためにブログ書いてますか?」という問いにすっきりした答えは返ってこないだろう。もし、何かしらの答えが出たとしても、一定の留保がついたものになるはずだ。だって、そんなこと自分でもわかっていないのだ。自分でも理由がわからないままに行い、予想もしなかった場所に辿り着いた。そういう感覚だろう。

でも、もう一度言うが、ブログは「予想もしなかった場所に辿り着く」ためのメディアではない。それは主従が反転してしまっている。「遊び場」なのだ。単なる遊び場。そして、情報社会でありコト社会である現代では、その遊び場でこそ面白いことが起こる。私はそれを「変換」というキーワードで、次に書く本(『僕らの生存戦略』)で論じたいと思っているが、それは少し先の話になる。

さて、ながながと書いてきた。今回の記事はあえてWordpressのブログ、note、Medium、Twitter、Togetterから引用してみた。15年前に比べれば、個人の発信装置は選択の数をかなり増やしたといえるだろう。もちろんここにYoutubeやらインスタグラムもはいってくる。実によきことだ。

そして、それらを巻き込みながらブログという行為は続いていく。何のためにそれをするのか、誰にもわからないままに。

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