6-エッセイ

無力感

ときどき、こうやってブログを後進していて何になるのか、と自問してしまうことがある。

そんな暇があるなら、もっと別にやることあるだろうに、と思う。

所詮は、自己満足の世界である。
言いたいことだけ言ってしまえば、気が晴れる、というだけのことかもしれない。

それでも、ときどき読みに来ていただける人がいるのだから、多少なりともマシな文章をエントリーしようと努める。

まあ、それでいいじゃないかと割り切ってしまえば、それでいいのかもしれない。

しかしながらこうして書いていることで世の中がほんの少しでも良い方向に向かうことに何らかの足しになっているのだろうかと考えると、とたんに無力感におそわっれる。

だいたい、この国の現状は本当にニュースが耐えない。誰も彼もが不正を行っているし、不正を行っている当事者に罪の意識がかけらもない場合が多い。
彼らの中では「ばれたら犯罪」という認識しかないような気がする。

そして、そういうのにいちいち付き合っているとホントにきりがない。しかしながら、それを放置しておいて、何らかの解決になるか、といえばもちろんならない。

自分の生活での問題解決と、社会で起こる問題の解決。これを同じレベルで語ることはできない。解決するのにかかる時間、手間隙、お金などが圧倒的に違うからだ。おそらく個人の力ではどうしようもないことのほうがおおいだろう。

養老氏が述べていたが、人間は必ず死ぬということは共通している。それと同様に一日に与えられた時間が24時間だというのも同じである。

もちろん日付変更線を行ったりきたりすれば、一日を行き来することはできるが、それで時間の流れを戻せたわけではない。

大人になれば、一日一日衰えていく。

何かをすれば、別の何かをする時間が失われる。

「社会」のことを考えすぎて、個人の生活がほったらかしになっている人もいるだろう。かといってそれがイヤで、社会に関してまったく無関心でいることが良いことだとは思えない。

「社会」というのは自らが所属している組織の一つなのだ。

「個人」というのは、そういう組織の一番小さい形に過ぎないと思う。

つまり、バランス感覚が大切なんだと思う。

「自分にできることをする」というのはそのバランス感覚が正常に保たれた上で、行えることなんだな~という気がする。

結局のところ、人間はどんなにがんばっても「無力感」から完全に開放されることはない。
逆にその「無力感」を別の原動力にしていける人間は強いようなきがする。

とくに脈絡ない文章でした。

2件のコメント

  1. 休日のレジャーに
    お料理をお試しになってはいかがですか。

    食後に、日ごろになかなか、 得がたい充足がありますよ。

  2. コメントありがとうございます。
    仕事上GWなんてものはないんですが、普段と違うことにチャレンジして気分転換を図りたいと思います。

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