4-僕らの生存戦略

思考と停止の「行ったり来たり」

考えることはとても大切だ。それは、準備をし、計画を整え、評価し、判断し、調整し、切り替え、新しいものを生み出すために役立つ。それがなければ、私たちは生来のベクトル一本しか有することができない。揺れない。たゆたわない。遊ばない。ただ「ありのまま」でありつづける。

むろん、たとえそうであっても生は可能である。多くの植物や動物はそのようにして生をなしている。一つの論として、人間もまたそのような生に立ち返るべきだ、という主張はあるだろう。そもそも人間が考え、文明を作り出したから、さまざまな困ったことが生まれているのだ。そういうのを一切放棄してしまえば、困難もまた消え去る、という言い方はできる。むろん、その文明によって生み出されてきたさまざまな素晴らしいものや救われてきた何かの価値を一切計算入れていないことは気になるが、思考を放棄してしまえば、そのような価値の計算からも解放されるので、そのような論者はそこまではケアしないのだろう。

しかし、である。とりあえず現状の私たちは思考する能力を有している。私たちの遺伝子にはそれが備わっている。そのようにサイコロは振られたのだ。だったら、その能力はなるべく使われた方がよいだろう。鳥が自然に羽ばたくように、人もまた自然に考えるのだとしたら、そのことを自体についてはあまり考えなくてもよいのではないか、つまり前提として受け入れてしまってもいいのではないか。

というように、考えることにはどこかしら考えないことがセットになっている。というか、そうでないとうまく機能しない。

考えることは、可能性を増やすかもしれないが、考え過ぎると増えすぎた可能性に押しつぶされる。AIがすべての囲碁の手を検討しているようなものだ。むろん、それを検討している間は手は生まれない。行動は止まってしまう。押し寄せる可能性に、私たちは身動きが取れなくなる。あるいは、心配のし過ぎて神経的にやられてしまうこともありえる。

決断、という言葉はまさにその可能性を断ち切ることを意味している。そもそも行動というそれ自体が一つの有限化である。生まれた行動は、ただの行動だ。それ自身は何も揺らぎはしない。それが持つ意味だとか、解釈だとかはさまざまにあるが、「Aさんが○○をした」という事実はそれ以外の何もでもない。シュレディンガーの猫はそこにはいない。箱はもう開いてしまっている。

考えないことは強く、また早い。仕事をささっと片づけていくためのコツは、うだうだ考えずにリストを上から一つずつこなしていくことである。そのリストが、実行可能性を考慮して作られている場合は、これにまさるノウハウはない。狩人は獲物を見つけたら、動物における人権の有無などについて考慮するより先に弓を絞らなければ、食い扶持がなくなる。兵士は戦場でカントの命題について検討している余裕はないし、武闘家は考えるよりも先に体が動いていないと必ず打ち負ける。

痛みの感覚を無くした兵士は最強である、といった表現があるが、考えない人間の実行はものすごいことになる。しかし、何を実行しているのかは、あるいはなぜそれを実行しているのかは深く検討はされない。ただ、一つのベクトルのもとで邁進するだけである。

はたして現代はどういう状況だろうか。考え過ぎる時代? それとも実行し過ぎる時代? その診断によって周知されるべきアドバイスは変わってくるだろう。ある点を強調したければ「考えずに行動せよ!」になるだろうし、別のある点を強調したければ「よく考えよ!」となるだろう。どちらにせよ、それらは起きている状況に対するカウンターであって、その実体は両方が必要なことには変わりない。

とは言えである。何については考え、何については考えずにとにかくやってみるのか、ということについては一度考えておいた方がいいかもしれない。少なくとも、それは理性の出番ではないだろうか。

あるいは、そうでないのかもしれない。そういう判断も本能のままに行えばいいのかもしれない。少なくとも、他人を騙して商売する人にとってはそちらの言説の方がありがたいであろう。なにせ、本能ほどつけ込みやすい性質はないのだから。

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